数寄屋橋『君の名は』菊田一夫


菊田一夫の小説『君の名は』で
主人公の真知子と春樹が再会を
約束した場所は日本橋である
×(答)
◯数寄屋橋
60%

『君の名は』(きみのなは)は、1952年 – 1954年に日本のNHKラジオで放送されたラジオドラマである。映画化、テレビドラマ化、舞台化もされた。

>脚本家・菊田一夫の代表作。1952年にラジオドラマで放送され、多大な人気を獲得した。ただし最初の半年間は、菊田が「人々の戦争体験を主題に」シリアスタッチで描いていたため、あまり人気はなかった[1]。真知子と春樹との恋愛にドラマが集中し始めて、はじめて人気番組となった[2]。「番組が始まる時間になると、銭湯の女湯から人が消える」といわれるほどであったという(ただし、この銭湯でのエピソードは、「アメリカでの事実[3]を基にして、松竹の宣伝部が作った虚構である」という説も根強い[4])。
ラジオドラマの人気を受けて松竹で映画化されると、大ヒットを記録した。氏家真知子のストールの巻き方が「真知子巻き」と呼ばれて女性の間で流行した。これは、主演の岸惠子が北海道での撮影の合間に、現地のあまりの寒さに神奈川県横浜市中区の馬車道界隈の店で購入して持参していた私物のストールを肩からぐるりと一周させて耳や頭をくるんでいたことによるとされる。この姿はカメラが回っている時にも使われることになり、「真知子巻き」が誕生した。真知子と春樹が出会い、再会した数寄屋橋のシーンでしていたというのは間違いである。ただし第一部の冒頭、佐渡で渡る船上でも真知子は「真知子巻き」に類したストールの巻き方をしている。
真知子と春樹が再会しそうになる(半年ごとの数寄屋橋での待ち合わせなど)が、不都合が起きてなかなか会うことができない。この「会えそうで会えない」という事態が何度も繰り返された。これは後の恋愛ドラマでもよく見られる描写(演出)であり、本作はこのパターンの典型にして古典となっている。

>第二次大戦、東京大空襲[5]の夜。焼夷弾が降り注ぐ中、たまたま一緒になった見知らぬ男女、氏家真知子と後宮春樹は助け合って戦火の中を逃げ惑ううちに、命からがら銀座の数寄屋橋までたどり着く。一夜が明けて、二人はここでようやくお互いの無事を確認する。
お互いに生きていたら、半年後の11月24日、それがだめならまた半年後に、この橋で会おうと約束し、お互いの名も知らぬまま別れた。やがて、2人は戦後の渦に巻き込まれ、お互いに数寄屋橋で相手を待つも再会が叶わず、1年半後の3度目にやっと会えた時は真知子は、既に明日嫁に行くという身であった。しかし、夫との生活に悩む真知子、そんな彼女を気にかける春樹、2人をめぐるさまざまな人々の間で、運命はさらなる展開を迎えていく。
引用元:君の名は – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%9B%E3%81%AE%E5%90%8D%E3%81%AF