「ムハンマドの誕生」「フランク王国の成立」「ゲルマン民族の大移動」


次のうち
西暦1000年までに起こった
出来事を全て選びなさい
オスマン帝国の成立 1299
ムハンマドの誕生(答)570
カノッサの屈辱 1077
第1回十字軍の遠征 1096
ゲルマン民族の大移動(答)375
フランク王国の成立(答)481
49%

(1)オスマン帝国
14~20世紀初頭まで存在したイスラム教スンナ派の大帝国。小アジアからバルカン半島、地中海にも進出、君主であるスルタンが教主カリフの地位を兼ねる体制をとり、イスラーム教世界の盟主として16世紀に全盛期を迎え、ヨーロッパ=キリスト教世界に大きな脅威を与えた。17世紀末からヨーロッパ諸国の侵攻、アラブ諸民族の自立などによって領土を縮小させ、次第に衰退してた。⒚世紀、近代化をめざす改革に失敗、第一次世界大戦でドイツと結んだが敗れ、1922年に滅亡した。
引用元:オスマン帝国 http://www.y-history.net/appendix/wh0803-009_1.html

ムハンマド
Muḥammad

[生]570頃. メッカ
[没]632.6.8. メジナ
イスラム教の創始者。正式には Abū al-Qāsim Muḥammad ibn `Abd Allāh ibn `Abd al-Muṭṭalib ibn Hāshim。マホメットともいう。メッカの有力な氏族ハーシム家(クライシ族の支派)出身。前半生についての正確なところはほとんど知られていない。幼くして両親と死別し,貧困のうちに羊飼いや隊商として働いたという。25歳で年長の寡婦ハディージャと結婚,幸福な家庭生活を得た。その後メッカ近郊の山中にこもり瞑想と祈りに入ることを習慣としていたが,610年ヒラー山上で修行中アッラーからの啓示を受け,のちにアッラーの使徒であることを確信して 613年頃からアッラーの啓示を伝え始めた。貧者,奴隷たちを中心に信者を獲得したが,メッカの支配階級に迫害され,622年信徒とともにヤスリブ(→メジナ)に脱出,これをヒジュラ(ヘジラ)と呼び,のちにこの年をイスラム暦元年とした。ムハンマドはこの地を本拠に一つの宗教共同体を形成した。ここで「アッラーの名のもとに」戦闘的布教を開始し,630年にはメッカを,次いで全アラビアを征服し,栄光のうちに没した。最後の預言者としてムハンマドが伝えた神の啓示は『コーラン』にまとめられている。
引用元:ムハンマド(ムハンマド)とは – コトバンク https://kotobank.jp/word/%E3%83%A0%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%9E%E3%83%89-140728

カノッサの屈辱
1077年、神聖ローマ皇帝が破門を恐れてローマ教皇に屈服した事件。

カノッサの屈辱
カノッサの屈辱
ローマ教皇グレゴリウス7世によって破門され窮地に立った神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世は、厳冬のアルプスを超え、1077年の正月、おりから教皇の滞在するカノッサ城で教皇に面会を求めた。グレゴリウスは会おうとしなかったが、カノッサ城主トスカナ伯マチルダやクリュニー修道院長ユーグのとりなしで会うこととなった。この間、ハインリヒ4世は3日間、雪の中にわずかな修道衣のみの素足で立ちつくし、やっと破門を解いてもらうことが出来た。これが「カノッサの屈辱」と言われる事件で、ローマ教皇権の強大化を示す事例とされている。
引用元:カノッサの屈辱 http://www.y-history.net/appendix/wh0601-177.html

十字軍運動
11世紀末~13世紀末までのキリスト教世界の膨張運動の一つ。1095年のクレルモン宗教会議で教皇ウルバヌス2世によって提唱され、96年の第1回から、一般に1270年の第7回までとされる。一時はイェルサレム王国を建てるなど聖地回復に成功したが、結局はイスラーム側の反撃によって失敗した。東方貿易の活発化、イスラーム文化の流入など、中世ヨーロッパ社会を大きく変動させる一因となった。
引用元:十字軍運動 http://www.y-history.net/appendix/wh0603_1-008.html

ゲルマン人の大移動
4~6世紀のゲルマン人がヨーロッパ全域に拡大した動き。西ローマ帝国を滅亡させ、中世社会を成立させた。

4世紀から6世紀に及ぶ約200年に及ぶゲルマン人の大移動は、一般に375年の西ゴート人のドナウ川越境から、568年の北イタリアでのランゴバルド王国の建国までとされ、これを第1次ゲルマン人大移動という。次いで8世紀に始まり、11世紀まで続いたゲルマン人の一派ノルマン人の移動を第2次ゲルマン人大移動という。
引用元:ゲルマン人の大移動 http://www.y-history.net/appendix/wh0601-009.html

フランク王国
フランクおうこく
Regnum Francorum; Frankenreich

フランク族の王権のもとに5世紀末に旧ローマ属州ガリア北部に興り,9世紀にかけてのちのフランス,ドイツ西部,イタリア北部にまたがる西ヨーロッパの中核地域を統一した最初のキリスト教的なゲルマン国家。西ヨーロッパのキリスト教的文化と中世諸国制度の母体となった。5世紀末クロービス1世がガリア全域を支配し,ピピン (小ピピン) が王に即位するまでのメロビング朝とその即位から 10世紀末までのカロリング朝の2期に分けられる。また 843年のベルダン条約,870年のメルセン条約によって,王国は東フランク (ドイツ) ,西フランク (フランス) ,中部フランク (イタリア) と3分され,中部フランクはまもなく衰えたが,東フランク王国は 911年,西フランク王国は 987年までカロリング家の血統が続いた。
引用元:フランク王国(フランクおうこく)とは – コトバンク https://kotobank.jp/word/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AF%E7%8E%8B%E5%9B%BD-126455