「しづかなる力満ちゆき螇蚸とぶ」


秋の昆虫が勢い良く飛ぶ様を
詠んだ加藤楸邨の句は「しずか
なる◯満ちゆきばったとぶ」?
◯の漢字をひらがなで答えなさい
ちから(答)
19%

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中村草田男、石田波郷らとともに「人間探求派」とよばれた日本の俳人で、句集『まぼろしの鹿』、『寒雷』で知られるのは?
加藤楸邨(答)
かとうしゅうそん

現代俳句コラム
しづかなる力満ちゆき螇蚸とぶ 加藤楸邨
 人の気配を感じてか、草むらにじっと動かない螇蚸がいる。こちらも動かずに息をひそめ目を凝らしている。動かないのは力が抜けているのではなく、全身に力を漲らせているのだ。と、次の瞬間、螇蚸は勢いよく跳躍、飛翔したのだった。昆虫の思いがけない力強い飛翔に、作者は心を打たれたのではなかったろうか。内への充実と外への飛躍、静と動の鮮やかな対比が螇蚸の命の輝きを捉えている。
 楸邨は戦後の過労から病臥を余儀なくされたが、この句は長かった病臥の回復期、ようやく歩けるようになった庭で詠まれたものだという。心身に力を蓄えつつ時を待つ充足感、病苦を克服した喜びが、対象との感合浸透によってみごとに表現されている。螇蚸は楸邨そのもの、秋の日に羽を光らせながら、遠く高く飛んだことであろう。昭和二十六年、楸邨四十六歳の作である。平凡なようで、誰の心にも訴えるものを持つ秀句と言えよう。
引用元:現代俳句コラム – 現代俳句協会 http://www.gendaihaiku.gr.jp/column/view.php?act=detail&id=316

加藤楸邨
かとうしゅうそん
(1905―1993)

俳人。本名健雄(たけお)。東京生まれ。苦学して東京高師第一臨時教員養成所国語漢文科卒業。埼玉県の粕壁(かすかべ)中学教諭となる。短歌に親しんでいたが、村上鬼城(きじょう)の句に接して俳句に関心をもち1931年(昭和6)水原秋桜子(しゅうおうし)に師事。『馬酔木(あしび)』発行所に勤めながら40年東京文理科大学(後の東京教育大学)卒業。のち青山学院女子短大教授。初め叙情的、唯美的な句風であったが、しだいに生活に密着した方向に転じ、内面の苦悩を、俳句という短詩型文学に生かそうと努めたため、表現が晦渋(かいじゅう)となり、39年ごろ中村草田男(くさたお)、石田波郷(はきょう)とともに難解派とか人間探求派とかよばれた。「鰯雲(いわしぐも)人に告ぐべきことならず」がこのころの句。なお人間的凡愚の情をたたえ、ユーモラスな表現をとる句があって、その作品を親しみ深いものにしている。芭蕉(ばしょう)や一茶(いっさ)の作品を、作り手としての立場から評釈した業績も注目される。句集に『寒雷』(1939)、『颱風眼(たいふうがん)』(1940)など、評釈に『芭蕉講座発句篇(へん)』3冊(1943~48)、『一茶秀句』(1964)など。夫人知世子(ちよこ)も女流俳人。門下から金子兜太(とうた)、森澄雄ほか優れた俳人を出している。[井上宗雄]
『『加藤楸邨全集』全13巻(1980~82・講談社) ▽田川飛旅子著『加藤楸邨』(1963・桜楓社)』
[参照項目] | 寒雷(加藤楸邨の句集)
引用元:加藤楸邨(かとう しゅうそん)とは – コトバンク https://kotobank.jp/word/%E5%8A%A0%E8%97%A4%E6%A5%B8%E9%82%A8-15707