蒲原有明『独絃哀歌』薄田泣菫『白羊宮』



明治時代に活躍した詩人で
『独絃哀歌』『有明集』などの
詩集で知られるのは
蒲原有明ですが
かんばらありあけ

『暮笛集』『白羊宮』などの
詩集で知られるのは?
有田原明泣
露薄菫風蒲
薄田泣菫(答)
すすきだきゅうきん
34%

蒲原 有明(かんばら ありあけ、1875年(明治8年)3月15日 – 1952年(昭和27年)2月3日)は、日本の詩人。本名、隼雄(はやお)。東京生れ。
D・G・ロセッティに傾倒し、複雑な語彙やリズムを駆使した象徴派詩人として『独絃哀歌』『春鳥集』『有明集』などを発表。薄田泣菫と併称され、北原白秋、三木露風らに影響を与えた。
引用元:蒲原有明 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%92%B2%E5%8E%9F%E6%9C%89%E6%98%8E

蒲原有明 かんばら-ありあけ

1876-1952 明治-昭和時代の詩人。
明治9年3月15日生まれ。硯友(けんゆう)社系の小説家として出発。のち詩作に専念し,「草わかば」「独絃哀歌」で注目される。明治38年の「春鳥集」,41年の「有明集」で象徴詩人としての才能を開花させ,その詩は北原白秋や木下杢太郎(もくたろう)らに影響をあたえた。芸術院会員。昭和27年2月3日死去。75歳。東京出身。国民英学会卒。本名は隼雄(はやお)。
【格言など】智慧の相者は我を見て今日し語らく,汝(な)が眉目(まみ)ぞこは兆(さが)悪しく日曇(ひなぐも)る(「有明集」)
引用元:蒲原有明(かんばら ありあけ)とは – コトバンク https://kotobank.jp/word/%E8%92%B2%E5%8E%9F%E6%9C%89%E6%98%8E-15980

薄田 泣菫(すすきだ きゅうきん、1877年(明治10年)5月19日 – 1945年(昭和20年)10月9日)は、日本の詩人・随筆家。本名、淳介(じゅんすけ)。
『暮笛集』『白羊宮』などで島崎藤村、土井晩翠の後を継ぐ浪漫派詩人として登場。また、象徴派詩人として蒲原有明と併称された。大正以後は詩作を離れ、『茶話』『艸木虫魚』などの随筆集を書いた。
引用元:薄田泣菫 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%96%84%E7%94%B0%E6%B3%A3%E8%8F%AB

薄田泣菫 すすきだ-きゅうきん

1877-1945 明治-昭和時代前期の詩人,随筆家。
明治10年5月19日生まれ。岡山中学中退後上京し,独学。明治32年第1詩集「暮笛集」を刊行。「ゆく春」「白羊宮」などにより明治30年代の代表的詩人として蒲原有明(かんばら-ありあけ)とならび称された。大正元年大阪毎日新聞社に入社。以後「茶話」などの随筆をかいた。昭和20年10月9日死去。69歳。岡山県出身。本名は淳介。
【格言など】ああ,大和にしあらましかば,いま神無月(かみなづき)(「白羊宮」)
引用元:薄田泣菫(すすきだきゅうきん)とは – コトバンク https://kotobank.jp/word/%E8%96%84%E7%94%B0%E6%B3%A3%E8%8F%AB-83846