禁闕の変


1443年に南朝一派が三種の神器の
一部を盗んだ事件を、皇居内裏で
起きたことから◯◯の変という?
◯の漢字をひらがなで答えなさい
きんけつ(答)
「禁闕の変」
23%

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南朝の再建を図った勢力が
1443年に京都を襲撃した事件
禁闕の変
きんけつのへん(答)
引用元:「禁闕(きんけつ)の変」1443日野有光が後花園天皇を襲撃 http://seethefun.net/%E6%96%87%E7%B3%BB%E5%AD%A6%E5%95%8F/30353/

禁闕の変(きんけつのへん)は、室町時代の嘉吉3年(1443年)9月に京都で起こった後花園天皇内裏の襲撃事件。吉野朝廷(南朝)の復興を唱える後南朝とされる勢力が御所に乱入し、三種の神器の一部を奪い比叡山へ逃れたものである。
「禁闕」とは、皇居(京都御所)の内裏の意味。嘉吉の変とも呼ばれるが、嘉吉元年(1441年)に起こった6代将軍足利義教の暗殺事件(嘉吉の乱)と混同されることから、「禁闕の変」の名称が用いられる。
引用元:禁闕の変 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%81%E9%97%95%E3%81%AE%E5%A4%89

きんけつのへん【禁闕の変】

1443年(嘉吉3)9月,南朝遺臣日野有光が神器を奪った事件。有光は将軍足利義勝の早世など嘉吉の乱後の幕府権力の動揺につけこみ,後南朝尊秀王と通じて内裏(禁闕)に侵入して放火し,神璽,宝剣を奪って比叡山に立てこもった。しかし管領畠山持国や延暦寺僧兵に攻められ,尊秀王や子息資親らとともに殺された。この事件の意義はむしろ,後に小寺氏などの赤松氏遺臣たちがこの神璽を奪還することにより,赤松惣領家再興の契機とした点にある。
引用元:禁闕の変(きんけつのへん)とは – コトバンク https://kotobank.jp/word/%E7%A6%81%E9%97%95%E3%81%AE%E5%A4%89-1160125