『尿(いばり)する裸僧』



大正期の洋画家・村山槐多の
代表作は『◯する裸僧』?
尿
いばり(答)
『尿(いばり)する裸僧』
40%

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代表作に『死と乙女』がある
20世紀初めのオーストリアの
画家はエゴン・◯◯◯?
◯を答えなさい
シーレ
「エゴン・シーレ」
引用元:マティス『金魚鉢の風景』『ルーマニアのブラウス』『王の悲しみ』『ダンス』 エゴン・シーレ『死と乙女』オーストリア 「エレミー・フレーゲ」クリムト『接吻』のモデル http://seethefun.net/%E6%96%87%E7%B3%BB%E5%AD%A6%E5%95%8F/8425/

村山 槐多(むらやま かいた、1896年9月15日 – 1919年2月20日)は、日本の洋画家。

>愛知県額田郡岡崎町(現:岡崎市)に父・村山谷助と母・たまの長男として生まれた。母たまは結婚前に森鴎外家で女中奉公をしており、その縁で鴎外が名付け親となった。10代からボードレールやランボーに読み耽り、詩作もよくした。その早熟さ、デカダン的な生活、貧しさや失恋による心の痛みなどにより、結核性肺炎を患っていた。また、22歳で夭折した点まで同時代の関根正二とよく比較されるが、2人の作風はまったく異なっている。画家自身のほとばしる情念や不安を反映した槐多の人物像は、器用ではないが、一度見たら忘れられない強烈な印象を残すものである。画家の山本鼎は従兄。また、随筆家の黒柳朝ははとこ。

絵画[編集]
若年で病没した画家としては比較的多くの作品を残している。全体として、決して技巧的ではないものの、原色を多用した、けばけばしいとさえいえる筆致を特徴とする。『庭園の少女』『バラと少女』『湖水と女』などの女性像や、『朱の風景』『信州風景』『松の群』などの風景をモチーフとして好んだ。その他、托鉢に放尿する裸の僧侶を赤を主調として描いた『尿する裸僧』は、見る者に異様な情熱を感じさせる、もっとも村山槐多らしい作品として知られている。
引用元:村山槐多 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%91%E5%B1%B1%E6%A7%90%E5%A4%9A

「尿」の部首・画数・読み方・意味など
部首 尸
しかばね・かばね
画数 7画
音読み 【中】 ニョウ
訓読み 【△】 いばり
【△】 しと
【△】 ゆばり
意味 いばり。ゆばり。しと。小便。小用。
引用元:「尿」の部首・画数・読み方・筆順・意味など http://kanji.jitenon.jp/kanjid/1524.html

尿(にょう、いばり)は、腎臓により生産される液体状の排泄物。血液中の水分や不要物、老廃物からなる。小便(しょうべん)、ションベン、小水(しょうすい)、お尿(おにょう)、ハルン、おしっこ(しっこ)等とも呼ばれる。古くは「ゆばり」「ゆまり」(湯放)と言った。
尿の生産・排泄に関わる器官を泌尿器と呼ぶ。ヒトの場合、腎臓で血液から濾し取られることで生産された尿は、尿管を経由して膀胱に蓄積され尿道口から排出される。生産量は水分摂取量にもよるが、1時間あたり60ml、1日約1.5リットルである。膀胱の容量は、成人で平均して500ml程度で、膀胱総容積の4/5程度蓄積されると大脳に信号が送られ、尿意を催す。日本人が人生80年の間に出す尿の平均量は約35トン[要出典]といわれている。
引用元:尿 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%BF

尿(いばり)する裸僧は、槐多自身。一種の自画像です。神妙な面持ちで合掌している上半分。その自分の姿を嘲笑うかのように大胆に托鉢する鉢に向け滝のような放尿をする下半分。このギャップにまず驚かされます。

しかも露わとなった男性器を敢えて色を変え(金色?)目立たせているかのような大胆不敵さ。年下の美少年に恋し、年上の既婚女性に横恋慕する。そしてこの放尿する自画像。まさに「ためらいがない。」の一言に尽きようかと。

これだけストレートに生きたら22歳という若さも決して不幸ではなかったのかもしれません。作品数も詩なども合わせれば相当数残されています。

関根正二と比較されることの多い村山槐多ですが、「尿する裸僧」をはじめとする多くの自画像や異性同性分け隔てない荒々しい性への渇望を鑑みると、むしろエゴン・シーレとの比較の方が的を射ているように思えます。
引用元:「村山槐多展」 | 弐代目・青い日記帳 http://bluediary2.jugem.jp/?eid=2012