柳原極堂が創刊し高浜虚子へ譲渡『ほとゝきす』


1897年に愛媛県の松山で
俳句雑誌「「ほとゝきす」を
創刊した俳人は?
虚堂子原井
荻浜極柳高
柳原極堂(答)
やなぎはらきょくどう
19%

柳原 極堂(やなぎはら きょくどう、慶応3年2月11日(1867年3月16日)- 昭和32年(1957年)10月7日)は愛媛県出身の俳人である。

>明治29年(1896年)には正岡に勧められ号を「極堂」に変え、明治30年(1897年)に月刊俳誌「ほとゝぎす」を創刊。21号以降高浜虚子に有償譲渡した。のち昭和7年(1932年)には「鶏頭」を創刊している(118冊刊行するも戦中の紙不足のため昭和17年(1942年)廃刊)。
明治32年(1899年)に松山市議会議員に当選し、以後4回市議を務め明治39年(1906年)に再創刊した伊予日々新聞の社長として昭和2年(1927年)の廃刊まで新聞の発行にも力を注いだ。
昭和29年(1954年)、句集「草雲雀」を刊行。晩年は子規研究およびその顕彰に捧げられ、松山市初の名誉市民となった昭和32年(1957年)、90歳で没した。
引用元:柳原極堂 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%B3%E5%8E%9F%E6%A5%B5%E5%A0%82

柳原極堂 やなぎはら-きょくどう

1867-1957 明治-昭和時代の俳人,新聞人。
慶応3年2月11日生まれ。正岡子規にまなび,明治30年郷里の松山で「ほとゝぎす」を創刊,翌年同誌を高浜虚子にゆだねる。伊予日日新聞社長などをつとめたのち上京,昭和7年「鶏頭」を創刊,主宰。17年帰郷し,子規の研究と顕彰に専心した。昭和32年10月7日死去。90歳。本名は正之。著作に「友人子規」,句集に「草雲雀」など。
引用元:柳原極堂(やなぎはら きょくどう)とは – コトバンク https://kotobank.jp/word/%E6%9F%B3%E5%8E%9F%E6%A5%B5%E5%A0%82-22033

ホトトギス

俳句雑誌。 1897年1月創刊。正岡子規を中心に,四国松山で柳原極堂が創刊したものを翌 98年 10月東京に移し,高浜虚子が主宰刊行した。 1902年子規が没し虚子が主導者となったが,06年頃から夏目漱石の『吾輩は猫である』を掲載するなど文芸誌に変貌した観を呈した。
引用元:ホトトギス(ホトトギス)とは – コトバンク https://kotobank.jp/word/%E3%83%9B%E3%83%88%E3%83%88%E3%82%AE%E3%82%B9-133740