「後ウマイヤ朝の開始」「スペイン・ハプスブルク朝の開始」「フェリペ2世が即位」

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次のスペイン史上の出来事を
起こったのが古い順に選びなさい
後ウマイヤ朝の開始 756
カスティリヤ王国が成立 1035
レコンキスタでグラナダ陥落 1492
スペイン・ハプスブルク朝の開始 1504
フェリペ2世が即位 1580
「アルマダの海戦」で敗北 1588
スペイン継承戦争 1701
フランコによる独裁が開始 1938
52%

 イベリア半島の5分の4を占める現在のスペイン王国は、カルタゴ領・ローマの属州ヒスパニア・西ゴート王国を経てイスラム教化し後ウマイヤ朝・ムラーヴィト朝・ムワッヒド朝などをが続き、北部からキリスト教勢力による国土回復運動(レコンキスタ)の進行する中、15世紀後半にスペイン王国が成立。以下その歴史を段階的にまとめると次のようになる。

>スペイン王国(両君王国)の成立
 レコンキスタを推し進めたキリスト教国カスティーリャ王国とアラゴン王国が1479年に合同したところから始まる。1479年、アラゴン王国の王子フェルナンドが即位し、その妻(1469年に結婚)イサベル女王のカスティリャ王国と合同してスペイン王国となった。

>レコンキスタの完了
 1492年には、イスラームの最後の拠点グラナダを陥落させ、8世紀以来続いたレコンキスタを完成した。同年、スペインの派遣したコロンブス艦隊が大西洋を横断、西インド諸島に到達した。

>ハプスブルク家の支配
 スペインの統合を成立させたフェルナンドとイサベルの両王には男子がなく、娘のファナ(精神を病んだので狂女といわれた)の嫁ぎ先、神聖ローマ帝国皇太子フェリペとのあいだに生まれたカルロス(すでにネーデルラントを相続していた)がスペイン王位を継承することとなり、1516年、スペイン=ハプスブルク朝が始まった。カルロス1世(在位1516~56年)は1519年、対立候補のフランスのフランソワ1世を破って神聖ローマ皇帝に選出されてカール5世となった。その領土はスペインとネーデルラントのみならず、ドイツ、南イタリアも領有し、さらに新大陸が加わることとなる。

>「太陽の沈まぬ国」
 このフェリペ2世時代(1556~98)はスペイン王国は全盛期を迎えた。1561年に宮廷をマドリードに定め、63年からエル・エスコリアルに修道院兼王宮を建設した(84年に完成)。1571年にはレパントの海戦でオスマン帝国海軍に挑戦してそれを破り、この勝利で無敵艦隊と称されるようになったスペインの海軍は、プレヴェザの海戦以来失っていた制海権を回復した。同年、アジアではマニラ市を建設してフィリピン植民地支配を強化した。

>しかし、関係が悪化したイギリスは、エリザベス1世ものとで海外進出を活発化させ、同時にスペイン領であるネーデルラントでは新教徒の間にスペインのカトリック強制に対する反発から独立の機運がたかまり、オランダ独立戦争が開始された。1588年にはスペインの誇る無敵艦隊がオランダ独立を支援するイギリス海軍に敗れるという事態となった。

>また、三十年戦争ではフランス軍とのラクロワの戦いに敗北し、大きな痛手を被った。その講和条約として1648年に成立したウェストファリア条約では、ついにオランダの独立を承認し、かつてスペインの富の源泉であったオランダはこれで完全にその手を離れ、スペインの没落は決定的となった。その後、スペイン・ハプスブルク家の断絶によってフランスのルイ14世が介入し、スペイン継承戦争(1701~14年)が勃発、その結果ブルボン朝がスペインを支配することとなる。

>スペイン(9) スペイン革命とスペイン戦争
1931年のスペイン革命で共和政国家となったが、ファシズムが台頭、それに対抗して1936年2月に人民戦線内閣が成立した。同時に軍部の反乱が開始され、スペイン戦争(内戦)となる。イギリス・フランスが不干渉政策をとり、政府軍にはソ連と国際義勇兵が支援したが、ドイツ・イタリアが支援したフランコの率いる反乱軍が39年春までに全土を制圧した。その間フランコ独裁体制が成立、それが第二次世界大戦後にも続く。
引用元:イスパニア/スペイン王国 http://www.y-history.net/appendix/wh0603_2-069.html