「党錮の禁」後漢末の弾圧事件 宦官が党人(官僚)を禁錮処刑

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後漢末期、宦官の横暴に
対抗しようとした知識人たちが
逆に弾圧された事件を
何という?
の黄政永錮
巾禁嘉乱党
党錮の禁(答)
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党錮の禁(とうこのきん)は、後漢末期に起きた弾圧事件である。宦官勢力に批判的な清流派士大夫(党人)らを宦官が弾圧したもので、その多くが禁錮刑(現代的な禁錮刑とは異なり、官職追放・出仕禁止をさす)に処された事からこの名で呼ばれる。党錮の禁は166年(延熹9年)と169年(建寧2年)の2回行われ、それぞれ第一次党錮の禁、第二次党錮の禁と呼ばれた。
引用元:党錮の禁 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%9A%E9%8C%AE%E3%81%AE%E7%A6%81

後漢末の宦官と党人(官僚派)の対立事件。

後漢末、宦官と儒教の学徒の官僚と対立した。官僚たちを党人と言い、党人が宦官によって禁固にされたので「党錮の禁」という。郷挙里選によって官人となった人々は儒教理念を掲げて実権を握る宦官勢力を批判した。彼らの選出基盤である全国の郷村でも宦官批判が強まった。危機を感じた宦官政府は、166年、弾圧に踏み切り、党人の中心人物李膺以下、200人あまりを捕らえ、投獄した。さらに169年には、李膺ら百名以上を処刑し、多くを再び投獄した。このような「党錮令」による党人派に対する弾圧は20年続き、黄巾の乱が勃発すると、後漢政府は党人と黄巾の賊が連携するのをおそれて、禁令を解除した。官僚と宦官の対立は、中国の歴代王朝でも続き、特に、明末の東林派と非東林派の党争が有名である。
引用元:党錮の禁 http://www.y-history.net/appendix/wh0203-115.html

とうこのきん【党錮の禁】

中国,後漢末の政治事件。党錮とは党人の禁錮をさす。桓帝(在位147‐167)のとき宦官が政権を私物化し,儒家の官僚士大夫とこれを擁護する首都の太学生,地方の書生を中心に宦官批判が展開された。166年(延熹9)宦官派は彼らを党人として一斉に検挙,政界から終身追放する禁錮に処した。168年(建寧1)外戚竇武(とうぶ)は党人を起用,宦官誅滅を謀って失敗,翌年党人に対する徹底した弾圧と禁錮が行われた。この事件で政府は空洞化,後漢王朝は滅亡へと向かう。
引用元:党錮の禁(トウコノキン)とは – コトバンク https://kotobank.jp/word/%E5%85%9A%E9%8C%AE%E3%81%AE%E7%A6%81-580207