「寺沢堅高」島原の乱の責任をとった唐津藩主

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島原の乱の責任と取り
天草領四万石を失った
肥前唐津藩主は寺沢◯◯?
◯の漢字をひらがなで答えなさい
かたたか(答)
「寺沢堅高」てらさわかたたか
27%

一問多答
次のうち、「知恵伊豆」と呼ばれた江戸時代の老中・松平信綱が携わった出来事を全て選びなさい
「島原の乱」の鎮圧(答)
「明暦の大火」後の江戸復興
「由井正雪の乱」の鎮圧
「大塩平八郎の乱」の鎮圧
方広寺の鐘銘問題
「享保の大飢饉」後の復興

寺沢 堅高(てらざわ かたたか)は、江戸時代前期の大名。肥前国唐津藩2代藩主。寺沢広高の次男。島原の乱を発生させる原因の一部を作った。
>乱の終結後は失政の責を問われた。同じ乱の当事者であり当主が斬首された松倉家に比べれば軽い処分となり、天草領4万石を収公されたに留まったが、出仕も許されず、面目を喪って生き恥をさらす失意の日々を過ごし、正保4年(1647年)に江戸の海禅寺で自殺した。自殺の原因としては先の天草領没収による精神的動揺が考えられている。
嗣子はなかったため寺沢家は断絶し、唐津藩は改易となった。
引用元:寺沢堅高 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BA%E6%B2%A2%E5%A0%85%E9%AB%98

寺沢堅高 てらさわ-かたたか

1609-1647 江戸時代前期の大名。
慶長14年生まれ。寺沢広高の次男。寛永4年肥前唐津(からつ)藩(佐賀県)藩主寺沢家2代となる。14年島原の乱がおこり天草の領民もくわわったため,その責任をとわれ,天草4万石を没収された。正保(しょうほ)4年11月18日自殺。39歳。跡継ぎがなく,寺沢家は断絶した。
引用元:寺沢堅高(てらざわかたたか)とは – コトバンク https://kotobank.jp/word/%E5%AF%BA%E6%B2%A2%E5%A0%85%E9%AB%98-101767