『甲子夜話』「鳴かぬなら殺してしまえ ホトトギス」の出典

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織田信長の性格を詠んだ
「鳴かぬなら殺してしまえ
ホトトギス」という句が登場
する江戸時代の随筆集は?
『常山紀談』じょうざんきだん
『甲子夜話』(答)かっしやわ
『折たく柴の記』
『宇下人言』
50%


ホトトギスの仲間をこういいます
杜鵑類
とけんるい(答)

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次のうち、「ほととぎす」と読む当て字・熟字訓を全て選びなさい
不如帰(答)
杜鵑(答)
沓手鳥(答)
濁魂(答)
時鳥(答)
子規(答)
鷦鷯 みそさざい
善知鳥 うとう
桃花鳥 とき
金糸雀 カナリア
告天子 ヒバリ
鸚哥 インコ
郭公 カッコウ


次のうち同じ名前の植物が存在する生物を全て選びなさい
ミヤマクワガタ(答)オオバコ科の高山植物
ゴンズイ(答)ミツバウツギ科
ホトトギス(答)ユリ科

『甲子夜話』(かっしやわ)は、江戸時代後期に肥前国平戸藩第9代藩主の松浦清(号は静山)により書かれた随筆集。
>書名の由来は、平戸藩主を退き隠居した後、この随筆が1821年12月11日(文政4年11月17日)の甲子の夜に書き起こされたものであることによる。その後静山が没する1841年(天保12年)まで20年間にわたり随時書き続けられ、正篇100巻、続篇100巻、第三篇78巻に及ぶ。
内容は、藩主時代の田沼意次政権や松平定信が主導した寛政の改革の時期に関すること、執筆期に起きているシーボルト事件や大塩平八郎の乱などについての記述を始め、社会風俗、他藩や旗本に関する逸話、人物評、海外事情、果ては魑魅魍魎に関することまでの広い範囲に及んでおり、文学作品としてのみならず江戸時代後期、田沼時代から化政文化期にかけての政治・経済・文化・風俗などを知る文献としても重視されている。「鳴かないホトトギスを三人の天下人(織田信長・豊臣秀吉・徳川家康)がどうするのか」の詠み人知らずの有名な川柳も載せられている。
引用元:甲子夜話 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B2%E5%AD%90%E5%A4%9C%E8%A9%B1

甲子夜話
かっしやわ

肥前平戸(ひぜんひらど)藩主松浦清(まつらきよし)(号静山(せいざん))の随筆集。正編、続編各100巻、後編80巻。江戸幕府文教行政の中心人物で静山と親交のあった林述斎(はやしじゅっさい)の勧めにより、隠居の年、1821年(文政4)11月甲子(17日)の夜に起稿、20年間書き続けたが未完成に終わった。巻ごとに述斎の校閲を受けたという。述斎からの聞き書きも多い。内容は宮廷、朝幕関係をはじめ、信長、秀吉、家康以下の徳川将軍、大名、旗本、老中以下の幕吏、学者、文人墨客、僧侶(そうりょ)、医師、芸能人、その他名士の逸話、国内諸地域の奇談、異聞や民間の風俗、海外諸国の珍事奇聞などにわたる。文武両道を兼ねて諸芸を身につけ、下情にも通じていたことにより記事は豊富多彩、戦国期から田沼時代にかけての社会相を知るうえで、きわめて有益な資料であるばかりでなく、読み物としても絶好である。刊本は、国書刊行会本、東洋文庫本がある。[宮崎道生]
引用元:甲子夜話(かっしやわ)とは – コトバンク https://kotobank.jp/word/%E7%94%B2%E5%AD%90%E5%A4%9C%E8%A9%B1-45237

質問
(Question)
「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」の句の出典は何か?
回答
(Answer)
「甲子夜話」53(松浦静山著)に
夜話のとき或人の云けるは、人の仮托に出る者ならんが、其人の情実に能く協へりとなん。
 郭公を贈り参せし人あり。されども鳴かざりければ、
なかぬなら殺してしまへ時鳥   織田右府
鳴かずともなかして見せふ杜鵑  豊太閤
なかぬなら鳴くまで待よ郭公  大権現様
このあと二首を添ふ。
引用元:「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」の句の出典は何か? | レファレンス協同データベース http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000037946

『常山紀談』(じょうざんきだん)は、江戸時代中期に成立した逸話集。簡潔な和文で書かれており、本文25巻、拾遺4巻、それと同じ内容を持った付録というべき「雨夜燈」1巻よりなっている。著者は備前岡山藩主池田氏に仕えた徂徠学派の儒学者・湯浅常山。
>逸話集の形体は、事実を重視しようとした徂徠学派の特徴を示している一方で、一つの条の中に出典の異なる話が雑然と行を続けて書かれていて玉石混淆で、信憑性には問題があり、史実性よりも有名な話や痛快、豪快な逸話が好んで収録された。このために本書は史書というよりも、教訓集や説話集のようになっており、明治大正期の教科書には良く取り上げられていた。
引用元:常山紀談 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%B8%E5%B1%B1%E7%B4%80%E8%AB%87

『折たく柴の記』(おりたくしばのき)は、江戸時代中期に新井白石(1657年(明暦3年) – 1725年(享保10年))が書いた随筆。成立は享保元年(1716年)頃と言われる。『折焚柴の記』とも書く。新井白石は江戸中期の旗本・学者で、将軍徳川家宣期の正徳の治と呼ばれる政治を主導した。
本書は生家である新井家のことや、白石の政治的体験談などが記され、自伝的・政治的要素の濃い自伝的随筆であると評される。白石が編纂した諸大名家の系譜諸である『藩翰譜(はんかんふ)』作成のいきさつが記載されている。
引用元:折たく柴の記 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8A%98%E3%81%9F%E3%81%8F%E6%9F%B4%E3%81%AE%E8%A8%98

宇下人言
宇下人言(うげのひとごと)は、江戸時代中期に老中を務めた松平定信の自叙伝・回顧録。全4巻。署名は“定”の字を分解して「宇」「下」、同じく“信”の字を分解して「人」「言」の4文字にしたとされている。
概要[編集]
同書の奥付より、文化13年10月23日(1816年12月11日)の日付と「楽翁(定信の号)」の署名が確認できることから、文化13年ごろに書かれたとみられている。宝暦8年(1758年)誕生から寛政5年(1793年)の老中辞任までを記し、白河藩の藩政、そして老中時代に行った寛政の改革の内情についても詳細に記載している。また、自身の学問観や思想についても事細かく記しており、定信の人物像と当時の政治情勢を知る上で貴重な史料である。
引用元:宇下人言 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%87%E4%B8%8B%E4%BA%BA%E8%A8%80