丸目長恵「タイ捨流兵法」の創始者

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戦国時代にタイ捨流兵法を
創始した肥後国の武将です
丸目長恵
まるめながよし

丸目 長恵(まるめ ながよし、天文9年(1540年) – 寛永6年2月7日(1629年3月1日))は、戦国時代の相良氏の家臣で、江戸時代初期の兵法家。上泉秀綱(後に信綱)の弟子として、四天王[1]の1人とも数えられ、タイ捨流兵法の流祖。通称は蔵人佐(くらんどのすけ)、または石見守であるが、講談等で用いられた丸目蔵人(まるめ くらんど)の名で広く知られる。本姓は藤原を称し、号は徹斎。晩年は剃髪して石見入道徹斎を名乗った。
引用元: 丸目長恵 – Wikipedia.

タイ捨流(タイしゃりゅう)は、丸目長恵によって新陰流から創始された兵法。
現在、人吉藩に伝わった系統が現存している。この系統の12代目小田夕可は、1963年7月31日に「熊本県無形文化財」の指定を受けていた[要出典]。[1]
>タイ捨流の「タイ」という言葉には、「体・待・対・太」などの複数の漢字が当てはまる。 「タイ」と仮名で書くのは、「体」とすれば体を捨てるにとどまり、「待」とすれば待つを捨てるにとどまり、「対」とすれば対峙を捨てるにとどまり、「太」とすれば自性に至る「太」とすれば自性に至る…といったそれぞれの意味が含まれるからである。 漢字では意味が限定されてしまうが、仮名で表すことで何れの意味にも通じることができる。 「タイ捨」とは、これらのすべての雑念を捨て去るという事、ひとつひとつの言葉にとらわれない自在の剣法を意味する。
引用元: タイ捨流 – Wikipedia.

カタカナの「タイ」の字は、固定化されない複数の理合や信義を表します。剣術と共に展開する当身や投げ極め絞めの体術。忍者の剣などとも呼ばれているそうです。
引用元: タイ捨流剣術 – ニコニコ動画:GINZA.