ハーグリーヴス「ジェニー紡績機」アークライト「水力紡績機」カートライト「力織機」

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産業革命の際に
ハーグリーヴスが発明した
紡績機はジェニー紡績機ですが

アークライトが発明した
紡績機は?
ミュール紡績機
水力紡績機(答)
綿繰り機
ジェニー紡績機
64%

紡績機名発明者発明年
飛び杼ジョン・ケイイギリス1733
ジェニー紡績機ハーグリーヴスイギリス1764
水力紡績機アークライトイギリス1771
ミュール紡績機クロンプトンイギリス1779
力織機カートライトイギリス1785
綿繰り機ホイットニーアメリカ1793
ガラ紡臥雲辰致
がうんたっち
日本1876

紡績(ぼうせき)は、繊維・織物産業において、原料の繊維から糸の状態にするまでの工程をいう。「紡」(紡ぐ/つむ・ぐ)は寄り合わせることを意味し、「績」(績む/う・む)は引き伸ばすことを意味する漢字で[1][2][3]、主に綿や羊毛、麻などの短繊維(最長1.5m程度のもの)の繊維を非常に長い糸にする工程をいう。紡績によって作られた綿糸などが紡績糸(スパンヤーン、ステープルヤーン)と呼ばれる。綿とポリエステルのように、複数の種類の短繊維を混ぜ合わせて紡績することを混紡という[4]。
これに対し、長繊維の絹を蚕の繭から繰り出し、ばらばらにならないよう数本まとめて撚る工程は製糸と呼ばれる。同様の長繊維でもナイロンなど合成繊維から糸をつくることは紡糸という。こうしてできた糸はフィラメントヤーンと呼ばれる。
>1764年ごろ、ジェームズ・ハーグリーブスが複数の糸を紡ぐジェニー紡績機を発明し、1人の工員が多数の糸車を一度に操作できるようになり、紡績の生産性は劇的に向上した。そして1769年、リチャード・アークライトらがジェニー紡績機よりも強い糸を作れる精紡機を開発した。この機械は手で駆動するには大きすぎたため、水車を動力源としたことから水紡機(英語版)(水力紡績機)と呼ばれた。
1779年、サミュエル・クロンプトンは、ジェニー紡績機と水力紡績機を組合せ、ミュール精紡機を開発した。この機械は強い糸が作れ、しかも大量生産に向いていた。1828年(または1829年)にはリング精紡機(英語版)が登場している。
引用元:紡績 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%A1%E7%B8%BE

飛杼
とびひ
flying shuttle

手織り織機の重要な一部分をなす装置であるために、飛杼装置ともいい、またバッタンbattant装置ともいう。手織り織機によって製織するとき、緯糸(よこいと)を入れる操作には、両手で杼(ひ)を互いに受け渡しながら操作することになるが、機(はた)織り作業のうえでは、非常に手間のかかる動作であった。そのためこの緯入れ動作を合理化するためにくふうが凝らされた。
 1733年、イギリス人ジョン・ケイJohn Keyによって発明されたが、わが国へは、1873年(明治6)に、フランスに留学していた京都・西陣(にしじん)の織工、佐倉常七(つねしち)(1835―99)によってもたらされ、翌年京都の織殿で初めて公開された。この構造は、右手で紐(ひも)を引くと、筬框(おさかまち)の両側に収めてある杼箱の中の杼をたたくことになるが、すると杼が杼箱から飛び出し緯糸を送り出すことになる。この方法により、作業能率は3倍に上昇した。そして明治10~20年代には、バッタン付き高機(たかはた)が各地に普及することになり、手織り織機に改革がもたらされた。[角山幸洋]
引用元:飛杼(とびひ)とは – コトバンク https://kotobank.jp/word/%E9%A3%9B%E6%9D%BC-1379576

百科事典マイペディアの解説
ジェニー機【ジェニーき】

英国のハーグリーブズが1760年代に発明した紡績機。手回しではあるが1人で多数(初め6~7本,のち80本)の紡錘を回転させ,綿糸大量供給の端を開いた。しかし紡出糸は撚りが弱いため緯糸(よこいと)用にしか向かず,経(たて)糸の量産は水力紡績機で実現された。
引用元:ジェニー機(ジェニーき)とは – コトバンク https://kotobank.jp/word/%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%83%BC%E6%A9%9F-839147

ミュール紡績機はイギリスの発明家サミュエル・クロンプトンが1779年に発明した紡績機、つまり天然繊維を撚って連続的に糸にする装置[1]の一種。1830年にリチャード・ロバーツ(英語版)が自動化することで、単純作業だけをする労働者が誕生し、社会制度を一変させることになった。なお、この発明には多くの人が加わっているが、舞台のほとんどはイギリス(グレートブリテン王国)である。
引用元:ミュール紡績機 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%AB%E7%B4%A1%E7%B8%BE%E6%A9%9F

百科事典マイペディアの解説
水力紡績機【すいりょくぼうせきき】

ウォーター・フレームとも。アークライトが発明,特許を得た紡績機。異なる速度で回転する2対のローラーで繊維束を延伸する。水車を動力とし連続的作業で強力な糸を紡出,それまでのジェニー機では困難だった綿経糸(たていと)の大量供給を可能とし,産業革命期の英国綿工業確立に大きく寄与した。
引用元:水力紡績機(すいりょくぼうせきき)とは – コトバンク https://kotobank.jp/word/%E6%B0%B4%E5%8A%9B%E7%B4%A1%E7%B8%BE%E6%A9%9F-844830

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
力織機
りきしょっき
power loom

動力を使用する織機。手織機に対する用語。 1785年イギリス人 E.カートライトが発明。 89年蒸気機関で運転した。日本では慶応2 (1866) 年,イギリスから鹿児島紡績所に 100台輸入されたのが最初。
引用元:力織機(りきしょっき)とは – コトバンク https://kotobank.jp/word/%E5%8A%9B%E7%B9%94%E6%A9%9F-148449

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
ホイットニー(Eli Whitney)
ほいっとにー
Eli Whitney
(1765―1825)

綿繰機(わたくりき)の発明で知られるアメリカの機械技術者。アメリカ機械工業勃興(ぼっこう)期に互換性部品による大量生産方式を確立するなど経営面でも才能を発揮した。マサチューセッツ州の農場で生まれ、エール大学卒業後1792年ジョージア州サバンナへ行き、独立戦争のグリーンNathanael Greene(1742―1786)将軍の未亡人Catharine Greene(1755―1814)の示唆により、綿実から繊維を分離する機械の開発を思い立つ。木製の円筒に針を植えた模型を数週間で完成し、1794年に特許をとったが、発効以前に盗用されて発明による利益は得られなかった。しかしこの綿繰機によって綿繰り能力は従来の50倍(のち300倍に改良)にも増大した。また、それまでは西インド諸島産の海島綿しか綿繰りに向かなかったが、綿繰機の発明で大陸産の綿実も使用できるようになり、アメリカ南部の綿作隆盛を招いた意義は大きい。1798年政府とマスケット銃1万挺(ちょう)を2年間で製作する契約を結び、個々の部品を別々につくって組み立てる互換性方式を採用する。そのためにジグ(治具)やフライス盤などの新しい工作機械を採用するなど、以後の機械工業生産の基礎を確立する画期的業績を残した。[篠原 昭]
引用元:ホイットニー(ほいっとにー)とは – コトバンク https://kotobank.jp/word/%E3%83%9B%E3%82%A4%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%8B%E3%83%BC(Eli+Whitney)-1591520

世界大百科事典 第2版の解説
がらぼう【ガラ紡】

ガラ紡績の略。明治初期に信州の元僧侶の臥雲辰致(がうんたつち)(1842‐1900)が,イギリスから輸入された機械紡績に対抗して,手紡績道具を改良して1876年に作り出した紡績機械(臥雲式紡績機,ガラ紡機)による紡績法。綿作地帯の三河地方で動力源を水車として行った水車紡で,ガラガラという音がするのがその名の由来である。ガラ紡糸は,落綿,くず綿,ぼろなどを原料として紡績した太い糸をいう。製品は12.5~1番手。
引用元:ガラ紡(ガラぼう)とは – コトバンク https://kotobank.jp/word/%E3%82%AC%E3%83%A9%E7%B4%A1-826427