おおくぼただちか「大久保忠隣」 相模小田原藩の初代藩主 讒訴により改易

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相模小田原藩の初代藩主を
務めた江戸初期の老中です
大久保忠隣
おおくぼただちか

「隣」は「近い」で「ちか」

大久保 忠隣(おおくぼ ただちか)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将・譜代大名。相模小田原藩の初代藩主。父は大久保忠世、母は近藤幸正の娘。講談で有名な旗本の大久保忠教の甥にあたる。小田原藩大久保家初代。
引用元:大久保忠隣 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%B9%85%E4%BF%9D%E5%BF%A0%E9%9A%A3

大久保忠隣
おおくぼただちか
(1553―1628)

江戸幕府初期の譜代(ふだい)大名。幕閣の実力者でのち失脚。三河国(愛知県)上和田村に生まれる。幼名新十郎。父は徳川氏の五か国領有期に家康の旗本部将で活躍し、遠江(とおとうみ)二俣(ふたまた)城主となった忠世(ただよ)である。忠隣は、11歳のとき家康の近習となって以来、三方ヶ原の戦いのほか諸戦に軍功を重ね、一方徳川氏の政務には「奉行(ぶぎょう)職」として参与した。関東入国後は幕閣に列し、2代将軍秀忠(ひでただ)(江戸政権)付属の重臣となった。父の遺領小田原城6万5000石を継ぐ。1613年(慶長18)12月、キリシタン禁令で京都に出張中、改易となる。表向きの理由は幕府に対する無届婚姻だが、実際は、忠隣と並ぶ実力者本多正信(まさのぶ)およびそのバックにある家康の駿府(すんぷ)政権との確執、忠隣の庇護(ひご)した大久保長安(ながやす)が死後に陰謀ありとされた事件との関連、忠隣と豊臣(とよとみ)氏との親近など複雑な事情がある。忠隣は近江(おうみ)国(滋賀県)栗本(くりもと)郡中村に蟄居(ちっきょ)し、5000石を与えられた。のち同国佐和山(さわやま)城下の石崎に移り、道白と称す。[煎本増夫]
引用元:大久保忠隣(おおくぼただちか)とは – コトバンク https://kotobank.jp/word/%E5%A4%A7%E4%B9%85%E4%BF%9D%E5%BF%A0%E9%9A%A3-39134

隣 [意味]
となり。連なった土べいや住居。となりどうし。 となり。まわりにいる同類。仲間。 すぐそばに連なる。となりに並んで連なる。近づく。 周代の行政区画で、五家の集まりのこと。
>他の読み
さと ただ ちか ちかし となり なが
引用元:隣(リン,となり,となる,さと,ただ,ちか,ちかし,となり,なが)の意味や読み,隣を含む男の子/女の子の名前 (5件) | みんなの名前辞典 – ここの姓名判断/名前占いはよく当たる! 素敵な名前を探そう https://mnamae.jp/c/96a3.html