山内豊信(とよしげ)「土佐藩」 新選組の隊員(肖像写真)土方歳三 近藤勇「紙幣の肖像」福沢諭吉 伊藤博文 板垣退助 岩倉具視「大政奉還」山内豊信

091PshnbAADWS
092FbQrbrpQct
次の人物から連想される藩は?
(画像出題)
ヒント① 山内豊信 やまうちとよしげ
ヒント② 板垣退助
ヒント③ 岩崎弥太郎
ヒント④ 坂本龍馬
会津藩
長州藩
土佐藩(答)
薩摩藩

山内豊信の画像を覚えて一確を目指しましょう

0057_r
山内豊信 やまうち とよしげ
(1827〜1872)
幕末の高知藩主。父は藩主分家山内豊著。嘉永6年(1853)の黒船襲来を契機に藩政改革を断行、吉田東洋を登用し成果を上げる。
引用元: 山内豊信 | 近代日本人の肖像.

0017_r
板垣退助 いたがき たいすけ
(1837〜1919)
高知藩主山内豊信の側用人などをつとめるが、藩の公武合体路線と相容れず、討幕派と連携。戊辰戦争で活躍。明治維新後、高知藩の大参事となり、藩政改革を行う。
引用元: 板垣退助 | 近代日本人の肖像.

s0114r
岩崎弥太郎 いわさき やたろう
(1835〜1885)
三菱財閥の創始者。父は地下浪人。高知藩に職を得、開成館長崎出張所に勤務し貿易に従事、明治2年(1869)には同藩大阪商会に転じた。廃藩置県に際し藩の事業を引き継ぎ、九十九商会をおこし、後に社名を三菱商会、郵便汽船三菱会社へと改称した。
引用元: 岩崎弥太郎 | 近代日本人の肖像.

0041_r
坂本竜馬 さかもと りょうま
(1835〜1867)
生年が天保6年(1835)10月とする説もある。父は高知藩の郷士。嘉永6年(1853)江戸の北辰一刀流千葉定吉に師事。剣士として知られる。文久元年(1861)武市瑞山が結成した土佐勤王党に参加。
引用元: 坂本竜馬 | 近代日本人の肖像.

031ZjnWYgHGcZ
次のうち
新選組の隊員だった人物を
全て選びなさい
(画像選択肢)
◯1土方歳三
×2高杉晋作
×3西郷隆盛
◯4近藤勇

肖像写真あり
農家に生まれたが、江戸の天然理心流近藤周助の門弟の一人となる。文久3年(1863)将軍徳川家茂の上洛に際し、警衛のため組織された浪士隊に近藤勇、沖田総司らと参加。同隊の一部はそのまま京都に残留し、京都守護職松平容保の下で新撰組となり、京都の治安維持を担当。土方は副長となった。
引用元: 土方歳三 | 近代日本人の肖像.

倒幕派の中心となった人物。父は萩藩士。藩校明倫館、松下村塾に学ぶ。安政5年(1858)に昌平黌に入学するが、6年藩命で帰国する。文久3年(1863)萩藩外国船攻撃の際、登用されて奇兵隊を結成し、外国勢と戦う。
引用元: 高杉晋作 | 近代日本人の肖像.

明治維新の指導者。鹿児島藩主島津斉彬に取り立てられる。安政の大獄と斉彬の死を契機に入水自殺を図る。その後、公武合体を目指す島津久光のもとで活躍するも、久光と衝突し、配流。召還後、第1次長州征討では幕府側の参謀として活躍。以後、討幕へと方向転換をはかり、坂本竜馬の仲介で長州の木戸孝允と薩長連合を結ぶ。
引用元: 西郷隆盛 | 近代日本人の肖像.

農家に生れ、江戸の天然理心流近藤周助の養子となり道場をつぐ。文久3年(1863)将軍徳川家茂の上洛に際し、警衛のため組織された浪士隊に土方歳三、沖田総司らと参加。同隊の一部はそのまま京都に残留し、京都守護職松平容保の下で新撰組となり、京都の治安維持を担当。近藤はのち局長となった。
引用元: 近藤勇 | 近代日本人の肖像.

新選組(しんせんぐみ)は、江戸時代末期(幕末)に、京都において反幕府勢力を取り締まる警察活動に従事したのち、旧幕府軍の一員として戊辰戦争を戦った武装組織である。
>歴代局長[編集]
芹沢鴨
近藤勇
新見錦
>会津新選組局長[編集]
山口二郎(斎藤一)
>組長・組頭・副長助勤[編集]
一番隊隊長  沖田総司
二番隊隊長  永倉新八
三番隊隊長  斎藤一
四番隊隊長  松原忠司
五番隊隊長  武田観柳斎
六番隊隊長  井上源三郎
七番隊隊長  谷三十郎
八番隊隊長  藤堂平助
九番隊隊長  鈴木三樹三郎
十番隊隊長  原田左之助
引用元: 新選組 – Wikipedia.

彰義隊(しょうぎたい)は、1868年(慶応4年)に江戸幕府の征夷大将軍であった徳川慶喜の警護などを目的として渋沢成一郎や天野八郎らによって結成された部隊。幕府より江戸市中取締の任を受け江戸の治安維持を行ったが、上野戦争で明治新政府軍に敗れ解散した。
引用元: 彰義隊 – Wikipedia.

『新選組始末記』(しんせんぐみしまつき)は、子母澤寛の小説。新選組を題材にした作品で、関係者への取材などを取りまとめられていることから、新選組に関する代表的な資料とも捉えられており、その後の幕末を題材にした創作作品に影響を与えた。
引用元: 新選組始末記 – Wikipedia.

新選組顛末記(しんせんぐみてんまつき)は、新選組に関する史料の1つ。永倉新八の口述による回顧録を記録したもので、1913年3月17日から同年6月11日にかけて、「新撰組 永倉新八」という題で『小樽新聞』で連載された。執筆は小樽新聞社の記者、吉島力。聞き書きであることからくる誤記や晩年の口述であるための記憶違いなどがふくまれる可能性があることを新人物往来社より出版された同書の解説で尾崎秀樹が指摘している。 『新選組顛末記』は、永倉新八の長男、杉村義太郎が、父の十三回忌をむかえて、編集発行した『新撰組永倉新八』を改題して出版されたものである。
引用元: 新選組顛末記 – Wikipedia.

CIMG7135kyDuATaDfQHF
次の人物を
肖像画使われた紙幣の
金額が高い順に選びなさい
(画像選択肢)
Bの画像 福沢諭吉   10000
Aの画像 伊藤博文   1000
Dの画像 岩倉具視   500
Cの画像 板垣退助   100
高橋是清   50

CIMG2660DPuYlRRvAtIc
次のうち、徳川慶喜に大政奉還
を建白した大名はどっち?
(画像選択肢)
Aの画像 島津久光
Bの画像(答)山内豊信