「カサブランカ会談」チャーチル・ルーズベルト「テヘラン会談」チャーチル・ルーズベルト・スターリン


1945年2月に
ヤルタ会談を行った首脳の名前を
ファミリーネームで
1つ答えなさい
ルーズヴェルト(答)
ルーズベルト(答)
チャーチル(答)
スターリン(答)
69%

103iuwSWMj
次のうち
1943年のカサブランカ会談の
出席者を全て選びなさい
トルーマン
チャーチル(答)
フランクリン・ルーズベルト(答)
39%


次のうち1943年のテヘラン会談の出席者を全て選びなさい
フランクリン・ルーズベルト(答)
チャーチル(答)
スターリン(答)

ヤルタ会談の出席者と同じ

一問多答
次のうち1945年のヤルタ会談の出席者を全て選びなさい
フランクリン・ルーズベルト(答)
チャーチル(答)
スターリン(答)
蒋介石

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1945年7月17日~8月2日
ツェツィリエンホーフ宮殿
米・英・ソの首脳が出席
戦後処理と日本の終戦について
ヤルタ会談
ポツダム会談(答)
カサブランカ会談
カイロ会談

カイロ会談「カルチャーショック」ルーズベルト、チャーチル、蒋介石
ヤルタ会談「ルーズなスターに茶をやる」ルーズベルト、スターリン、チャーチル
ポツダム会談「ポストのあるちゃちなアトリエ」スターリン、トルーマン、チャーチルのちアトリー


アメリカのトルーマン
イギリスのチャーチルとアトリー
ソ連のスターリン
1945年7月~8月
ポツダム会談(答)

連想
アメリカのルーズベルト
イギリスのチャーチル
ソ連のスターリン
1943年11月~12月
テヘラン会談(答)

連想
ルーズベルト
チャーチル
蒋介石
1943年11月
カイロ会談(答)

四択
次の首脳のうち1943年に行われたカイロ会談に出席していないのは誰?
スターリン(答)
ルーズベルト
蒋介石
チャーチル

連想
米・英・ソの首脳
1945年2月
ソ連の対日参戦が決められる
クリミア半島の南端
ヤルタ会談(答)

カサブランカ会談
かさぶらんかかいだん

第二次世界大戦中の1943年1月14~24日、北アフリカのフランス領モロッコのカサブランカCasablancaでアメリカ大統領F・D・ルーズベルト、イギリス首相チャーチルの両首脳が開いた戦争指導会談。この会談で、枢軸国に対する戦いを無条件降伏まで続行する方針が打ち出されたほか、ヨーロッパ進攻をシチリア島とイタリア本土上陸作戦から開始することに合意をみた。またこのとき、不仲が伝えられたフランス抗戦派の指導者ジロー将軍とドゴール将軍との和解が米英両首脳によって試みられたが、完全な解決には至らなかった。[藤村瞬一]
引用元:カサブランカ会談(カサブランカかいだん)とは – コトバンク https://kotobank.jp/word/%E3%82%AB%E3%82%B5%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AB%E4%BC%9A%E8%AB%87-44131

カイロかいだん【カイロ会談】

第2次世界大戦中の連合国の首脳会談の一つで,対日戦争と戦後処理について具体的に討議した最初の会議。米英ソの〈三巨頭〉が初めて会談したテヘラン会談に先がけて1943年11月22日より26日までカイロで開催され,アメリカ大統領ローズベルト,イギリス首相チャーチル,中華民国総統蔣介石が出席し,対日戦の軍事面での協力と将来の領土について話し合い,11月27日カイロ宣言を発表した。宣言は,(1)対日戦について米英中間の戦争遂行の決意と協力を述べ,その目的はあくまで日本の侵略を阻止し罰することにあり,いかなる領土拡張の念ももたないことを明らかにし,(2)領土については,第1次大戦開始以降日本が奪取,占領した太平洋のすべての島は取りあげられ,満州,台湾,澎湖島のような中国より奪取した領土は中国に返還され,その他日本が暴力と強欲によって略取した地域においても日本は駆逐されるとした。
引用元:カイロ会談(カイロかいだん)とは – コトバンク https://kotobank.jp/word/%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%AD%E4%BC%9A%E8%AB%87-43071

テヘランかいだん【テヘラン会談】

1943年11月28日から12月1日にかけてテヘランで開かれた米英ソ巨頭会談。アメリカ大統領F.ローズベルト,イギリス首相チャーチル,ソ連邦人民委員会議議長(首相)スターリンのほか,イーデン・イギリス,モロトフ・ソ連両外相,ローズベルト側近のホプキンズ,および3国の軍指導者らが出席し,米英中3国の首脳が集まったカイロ会談に引きつづいて行われた。テヘラン会談は,第2次世界大戦中,米英ソ3首脳が一堂に会した初の会談であり,連合国側の協力関係と優位を世界に印象づけた。
引用元:テヘラン会談(テヘランカイダン)とは – コトバンク https://kotobank.jp/word/%E3%83%86%E3%83%98%E3%83%A9%E3%83%B3%E4%BC%9A%E8%AB%87-576757

ヤルタ会談
やるたかいだん

第二次世界大戦末期の1945年2月4~11日、アメリカの大統領F・D・ルーズベルト、イギリスの首相チャーチル、ソ連の首相スターリンの3首脳がソ連、ウクライナ共和国(現ウクライナ)のクリミア半島の保養地ヤルタYaltaで、戦後処理の基本方針について協議した会談。正式にはクリミア会談という。最終日に合意に達した事項は、(1)3首脳のコミュニケ、(2)クリミア会談の議事に関する議定書(いわゆるヤルタ協定)、(3)ドイツ賠償に関する議定書、(4)ソ連の対日参戦に関する協定(いわゆるヤルタ秘密協定)の四つにまとめられた。
引用元:ヤルタ会談(ヤルタかいだん)とは – コトバンク https://kotobank.jp/word/%E3%83%A4%E3%83%AB%E3%82%BF%E4%BC%9A%E8%AB%87-144431

ポツダムかいだん【ポツダム会談 Potsdam Conference】

第2次世界大戦中最後のアメリカ,イギリス,ソ連3国巨頭会談。ドイツ降状後の1945年7月17日から8月2日にかけて,ベルリン近郊のポツダムで開催された。トルーマン・アメリカ大統領,スターリン・ソ連首相,チャーチル・イギリス首相(会談中の総選挙の結果,途中からアトリーと交替した)のほか,3国の外相が出席した。 会談ではとりわけポーランド,ドイツ間の国境画定と,ドイツからの賠償取立て方法とを巡って対立がみられた。
引用元:ポツダム会談(ポツダムかいだん)とは – コトバンク https://kotobank.jp/word/%E3%83%9D%E3%83%84%E3%83%80%E3%83%A0%E4%BC%9A%E8%AB%87-133550