源融(みなもとのとおる)

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『小倉百人一首』に収められた
源融の和歌は「みちのくの
◯◯◯◯◯◯◯誰ゆえに
みだれそめにし我ならなくに」?
のしぢずもりぶ
しのぶもぢずり(答)

源融 みなもとの-とおる

822-895 平安時代前期の公卿(くぎょう)。
弘仁(こうにん)13年生まれ。嵯峨(さが)天皇の皇子。母は大原全子。嵯峨源氏。斉衡(さいこう)3年(856)参議。貞観(じょうがん)14年(872)左大臣にすすみ,従一位にいたる。皇位に希望もあったが藤原基経におさえられたという。河原左大臣とよばれ,豪奢な風流生活で有名。寛平(かんぴょう)7年8月25日死去。74歳。贈正一位。
【格言など】みちのくのしのぶもぢずり誰ゆゑに乱れ初(そ)めにしわれならなくに(「小倉百人一首」)
引用元:源融(みなもとのとおる)とは – コトバンク https://kotobank.jp/word/%E6%BA%90%E8%9E%8D-139218

忍摺り(読み)シノブズリ
シノブの茎や葉の色素を布にすりつけて表したねじれたような模様。また、そのすり模様の衣服。昔、陸奥(むつ)の国信夫(しのぶ)郡(福島県福島市)で産した。もじずり。しのぶもじずり。
「その男、―の狩衣(かりぎぬ)をなむ着たりける」〈伊勢・一〉
出典 小学館デジタル大辞泉
引用元:忍摺りとは – コトバンク https://kotobank.jp/word/%E5%BF%8D%E6%91%BA%E3%82%8A-522717#E3.83.87.E3.82.B8.E3.82.BF.E3.83.AB.E5.A4.A7.E8.BE.9E.E6.B3.89

コメント

  1. 匿名 より:

    「信夫文字摺り衣」の謎。実物は現存しない。摺上川近傍に壺石という地名が残っています。全国の地名検索で「壺石」は一カ所しかヒットしません。坂上田村麻呂が矢筈で壺石に日本中央とか言う文字を書き記したとする伝説があります。その文字を布に摺り移した布を文字摺布とし都へ記念品として持ち帰ったものではないかと妄想しています。
    余分な染料を洗い流した川が摺上川と呼称されたのではないでしょうか。
    現在もちずり石とされる石は江戸時代に考えられた物です。
    壺石は地名だけが残り現在は石へ存在していません。