『断腸亭日乗(だんちょうていにちじょう)』 永井荷風の日記 「耽美派」

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作家の永井荷風が38歳から
死の間際まで42年間も書き続けた
日記の題名は『◯◯◯日乗』?
◯の漢字をひらがなで答えなさい
だんちょうてい(答)
『断腸亭日乗』
だんちょうていにちじょう

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連想
山本有三
菊池寛
芥川龍之介
対象文学
新思潮派(答)
第三の新人
新感覚派
白樺派

連想
泉鏡花
北原白秋
永井荷風
谷崎潤一郎
耽美派(答)

連想
倉田百三
有島武郎
武者小路実篤
志賀直哉
白樺派(答)

連想
庄野潤三
安岡章太郎
吉行淳之介
遠藤周作
第三の新人(答)

『断腸亭日乗』(だんちょうていにちじょう)は、永井荷風の日記。1917年(大正6年)9月16日から、死の前日の1959年(昭和34年)4月29日まで、激動期の世相とそれらに対する批判を、詩人の季節感と共に綴り、読み物として近代史の資料としても、荷風最大の傑作とする見方もある。
>1917年、37歳時の永井荷風は、すでに文名を確立した新進作家だった。前年に慶應義塾大学教授を辞し、かつては両親弟らと暮らした東京市牛込区大久保余丁町(現、新宿区余丁町)に戻り、邸内の一隅を(腸に持病のある故をもって)『断腸亭』と名付けた、自らを断腸亭主人と称した。庭先に秋海棠を植えた。それの別名も『断腸花』である。なお『日乗』は日記の別名である。
引用元:断腸亭日乗 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%AD%E8%85%B8%E4%BA%AD%E6%97%A5%E4%B9%97

断腸亭日乗
だんちょうていにちじょう

永井荷風(かふう)の日記。1917年(大正6)9月16日から死の前日59年(昭和34)4月29日に至る42年間の記録。46年3~6月の『新生』掲載の「罹災(りさい)日録」で注目され、その後『中央公論』などに数次発表、また刊行された。起筆当時の住居「断腸亭」にちなむ命名。傍観者的な眼(め)によって、四季の風物、時勢のようす、風俗の推移、女たちとの交渉の顛末(てんまつ)、読書感想などが記されている。記録者の「偏奇」を貫く強烈な個性が、観察のいちいちに沁(し)み透(とお)っている。しかし、45年(昭和20)3月10日東京大空襲・偏奇館(その後の住居)炎上に始まる罹災日記は、一個の特異な文学者の記録であるだけでなく、国民的体験を写し残したものというべきであろう。[竹盛天雄]
引用元:断腸亭日乗(だんちょうていにちじょう)とは – コトバンク https://kotobank.jp/word/%E6%96%AD%E8%85%B8%E4%BA%AD%E6%97%A5%E4%B9%97-1184285

永井 荷風(ながい かふう、1879年(明治12年)12月3日 – 1959年(昭和34年)4月30日)は、日本の小説家。本名は永井 壮吉(ながい そうきち、旧字体:壯吉)。号に金阜山人(きんぷさんじん)・断腸亭主人(だんちょうていしゅじん)ほか。
引用元:永井荷風 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B8%E4%BA%95%E8%8D%B7%E9%A2%A8

ながい‐かふう〔ながゐ‐〕【永井荷風】

[1879~1959]小説家。東京の生まれ。本名、壮吉。広津柳浪に師事、ゾラの影響を受けて「地獄の花」を発表。アメリカ・フランス遊学後、「あめりか物語」「ふらんす物語」や「すみだ川」などを執筆、耽美派の中心的存在となる。のち、「腕くらべ」などで花柳界の風俗を描いた。文化勲章受章。他に「濹東綺譚」「つゆのあとさき」、訳詩集「珊瑚集」、日記「断腸亭日乗」など。
引用元:永井荷風(ながい かふう)とは – コトバンク https://kotobank.jp/word/%E6%B0%B8%E4%BA%95%E8%8D%B7%E9%A2%A8-17149