奈良時代の天皇「元明天皇」「元正天皇」「聖武天皇」「孝謙天皇」

067XIEGFyO
次のうち、奈良時代に即位した
天皇を全て選びなさい
元正天皇(答)
推古天皇 飛鳥時代
孝明天皇 江戸時代
聖武天皇(答)
孝謙天皇(答)
後白河天皇 平安時代

天皇[編集]
元明天皇……第43代天皇。
元正天皇……第44代天皇。
聖武天皇……第45代天皇。
孝謙天皇……第46代天皇。
淳仁天皇……第47代天皇。
称徳天皇……第48代天皇。
光仁天皇……第49代天皇。
桓武天皇……第50代天皇。
引用元:奈良時代の人物一覧 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%88%E8%89%AF%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AE%E4%BA%BA%E7%89%A9%E4%B8%80%E8%A6%A7

百科事典マイペディアの解説
奈良時代【ならじだい】

奈良を都とした時代(710年―784年)。天皇を中心にした,律令時代の盛期。文化史上の天平(てんぴょう)時代。前期は大宝(たいほう)律令制定の後,平城京建設,和同開珎(わどうかいちん)発行,辺境開拓,産業開発,記紀や風土記編纂(へんさん)など,元明・元正女帝のもとで貴族が積極的に事業を推進したが,天平(729年―749年)ごろ律令国家の重圧によって農民の浮浪(ふろう)・逃亡や疫病流行がめだち,藤原広嗣(ひろつぐ)の乱が起こり,時代の転換期となった。
引用元:奈良時代(ならじだい)とは – コトバンク https://kotobank.jp/word/%E5%A5%88%E8%89%AF%E6%99%82%E4%BB%A3-108575

元正天皇(げんしょうてんのう、天武天皇9年(680年) – 天平20年4月21日(748年5月22日))は日本(奈良時代)の第44代天皇。女帝(在位:霊亀元年9月2日(715年10月3日) – 養老8年2月4日(724年3月3日))。父は天武天皇と持統天皇の子である草壁皇子、母は元明天皇。文武天皇の姉。諱は氷高(ひたか)・日高、又は新家(にいのみ)。和風諱号は日本根子高瑞浄足姫天皇(やまとねこたまみずきよたらしひめのすめらみこと)である。日本の女帝としては5人目であるが、それまでの女帝が皇后や皇太子妃であったのに対し、結婚経験は無く、独身で即位した初めての女性天皇である。
引用元:元正天皇 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E6%AD%A3%E5%A4%A9%E7%9A%87

聖武天皇(しょうむ てんのう、大宝元年(701年) – 天平勝宝8年5月2日(756年6月4日)[1]、在位:神亀元年2月4日(724年3月3日) – 天平勝宝元年7月2日(749年8月19日))は日本(奈良時代)の第45代天皇。即位前の名は首皇子(おびとのみこ)。 尊号(諡号)を天璽国押開豊桜彦天皇(あめしるしくにおしはらきとよさくらひこのすめらみこと)、勝宝感神聖武皇帝(しょうほうかんじんしょうむこうてい)、沙弥勝満(しゃみしょうまん)とも言う。文武天皇の第一皇子。母は藤原不比等の娘・宮子。
引用元:聖武天皇 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E6%AD%A6%E5%A4%A9%E7%9A%87

孝謙天皇(こうけんてんのう)、重祚して称徳天皇(しょうとくてんのう;稱德天皇、養老2年(718年) – 神護景雲4年8月4日(770年8月28日))は、日本の第46代・第48代天皇。
在位期間は、孝謙天皇として天平勝宝元年7月2日(749年8月19日) – 天平宝字2年8月1日(758年9月7日)、称徳天皇として天平宝字8年10月9日(764年11月6日) – 神護景雲4年8月4日(770年8月28日)。
父は聖武天皇、母は藤原氏出身で史上初めて人臣から皇后となった光明皇后(光明子)。即位前の名は「阿倍内親王」。生前に「宝字称徳孝謙皇帝」の尊号が贈られている。『続日本紀』では終始「高野天皇」と呼ばれており、ほかに「高野姫天皇」「倭根子天皇(やまとねこのすめらみこと)」とも称された。
史上6人目の女帝で、天武系からの最後の天皇である。この称徳天皇以降は、江戸時代初期に即位した第109代明正天皇(在位:1629年 – 1643年)に至るまで、実に850余年もの間、女帝が立てられることはなかった。
引用元:孝謙天皇 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%9D%E8%AC%99%E5%A4%A9%E7%9A%87