「アムチトカ」島 大黒屋光太夫が漂着した島

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1782年に遭難した
大黒屋光太夫が漂着した島は
アリューシャン列島の島は
◯◯◯◯◯島? ◯を答えなさい
アムチトカ(答)
「アムチトカ島」
Amchitka

江戸時代の蘭学者・桂川甫周が大黒屋光太夫の話を元にして書いた書物の題名は?
北槎聞略(答)
ほくさぶんりゃく

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次の山脈を大陸ごとに
グループ分けしなさい

北米大陸アフリカ大陸ユーラシア大陸
アリューシャン山脈
ルウェンゾリ山脈
エルブルズ山脈
コーサカス山脈
サハラアトラス山脈

引用元:大陸と山脈「北米大陸」アリューシャン山脈「アフリカ大陸」ルウェンゾリ山脈「ユーラシア大陸」エルブルズ山脈・コーカサス山脈 | わかればいいのに I wish I knew http://seethefun.net/%E7%A4%BE%E4%BC%9A/12165/

アムチトカ島(アムチトカとう)とは、アメリカ合衆国アラスカ州の南西に伸びる、アリューシャン列島のラット諸島に属する島の名前である。約64km(40mi)の長さがある。
>元来、アレウト族の居住地であった。漂流体験者・大黒屋光太夫の体験を綴った『北槎聞略』によれば、18世紀末当時にはアザラシなどの毛皮を求めるロシア商人が来島し、交易を目的として常駐していた(ロシアによるアメリカ大陸の植民地化)。
1867年3月、アラスカ購入でアメリカ合衆国領となる。
引用元:アムチトカ島 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%83%81%E3%83%88%E3%82%AB%E5%B3%B6

大黒屋 光太夫(だいこくや こうだゆう、宝暦元年(1751年) – 文政11年4月15日(1828年5月28日))は、江戸時代後期の伊勢国白子(現三重県鈴鹿市)の港を拠点とした回船(運輸船)の船頭。
天明2年(1782年)、嵐のため江戸へ向かう回船が漂流し、アリューシャン列島(当時はロシア領アラスカの一部)のアムチトカ島に漂着。ロシア帝国の帝都サンクトペテルブルクで女帝エカチェリーナ2世に謁見して帰国を願い出、漂流から約9年半後の寛政4年(1792年)に根室港入りして帰国した。
>幕府の老中・松平定信は光太夫を利用してロシアとの交渉を目論んだが失脚する。その後は江戸で屋敷を与えられ、数少ない異国見聞者として桂川甫周や大槻玄沢ら蘭学者と交流し、蘭学発展に寄与した。甫周による聞き取り『北槎聞略』が資料として残され、波乱に満ちたその人生史は小説や映画などでたびたび取りあげられている。
>光太夫の生涯を描いた小説『おろしや国酔夢譚』(井上靖、1968年)では帰国後の光太夫と磯吉は自宅に軟禁され、不自由な生活を送っていたように描かれているが、実際には以上のように比較的自由な生活を送っており、決して罪人のように扱われていたわけではなかったようである。それら資料の発見以降に発表された小説『大黒屋光太夫』(吉村昭、2003年)では事実を反映した結末となっている。
引用元:大黒屋光太夫 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%BB%92%E5%B1%8B%E5%85%89%E5%A4%AA%E5%A4%AB

アリューシャン列島は日本人にはなじみ深い。太平洋戦争中この諸島は北方戦線の重要な拠点になったし、ある時期は日本の漁業船団が活躍する海域でもあった。

 1985年だからもうかなり昔のことになるが、ぼくはある大きなドキュメンタリー映像の撮影のためにこのアリューシャン列島のかなり西端部分にある無人島に行くことになった。地図を見ると北海道の北東端あたりから船で行けば、天候にもよるだろうが、せいぜい2日もあれば到達しそうなところに目的の島があった。アムチトカ島という。すぐ近くにキスカ島があって、ここは太平洋戦争の頃に「キスカ奇跡の脱出」などといわれ、米軍に包囲された日本の軍艦が天候変化を利用してひそかに離脱成功した島として有名だ。アムチトカ島も日本軍が一時期占領し、航空基地を中心にした戦略拠点のひとつにした。
引用元:第19回 アリューシャン列島の無人島探検記 | ナショナルジオグラフィック日本版サイト http://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/20131010/368565/?P=1