「文英清韓」ぶんえいせいかん「方広寺鐘銘事件」の銘文起草者

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1614年の方広寺鐘銘事件で問題と
なった京都・方広寺の鐘の銘文
「国家安康」「君臣豊楽」を
考えた臨済宗の僧は?
英韓文清
文英清韓(答)

連想
天台宗の寺
豊臣秀頼が大仏殿を再建
「国家安康」「君臣豊楽」
大阪の陣の契機
方広寺(答)

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徳川家康に仕える
臨済宗の僧侶
『異国日記』『本光国師日記』
別名「黒衣の宰相」
金地院崇伝(答)こんちいんすうでん
円空
良寛
沢庵宗彭 たくあんそうほう
引用元:「金地院崇伝」こんちいんすうでん 家康に仕えた「黒衣の宰相」『異国日記』 | わかればいいのに I wish I knew http://seethefun.net/%e6%96%87%e7%b3%bb%e5%ad%a6%e5%95%8f/6939/

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足利義満によって
「京都五山」とされた
次のお寺を
格が高い順に選びなさい
天竜寺 てんりゅうじ
相国寺 しょうこくじ
建仁寺 けんにんじ
東福寺 とうふくじ
万寿寺 まんじゅじ
「なん(南禅寺)て塩気の豆腐まんじゅう」
引用元:鎌倉五山「建長寺」「円覚寺」「寿福寺」「浄智寺」「浄妙寺」『見学自由な珍妙な寺』 京都五山「南禅寺」「天竜寺(右京区)」「相国寺(上京区)」「建仁寺(東山区)」「東福寺」「万寿寺」『なんて塩気の豆腐まんじゅう』 | わかればいいのに I wish I knew http://seethefun.net/%e7%a4%be%e4%bc%9a/7839/

文英清韓(ぶんえいせいかん、永禄11年(1568年)- 元和7年3月25日(1621年5月16日))は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての臨済宗の僧。伊勢国の出身で、俗名は中尾重忠。諱は清韓。「文英」は字。号は不放子。
出家した後、文禄の役では加藤清正に従い朝鮮半島に渡った。慶長5年(1600年)に京都東福寺の長老となり、その後南禅寺の長老となった。
漢詩文に秀で、慶長19年(1614年)4月、片桐且元に命じられ京都方広寺大仏殿の再建工事において梵鐘の銘文を起草したが、この銘文に不吉な語句があることを徳川家康は問題視し、大仏開眼供養の中止を求めた(方広寺鐘銘事件)。同年8月には且元に同行して駿府へ弁明に向かい、五山僧から非難されている。この事件は、豊臣家攻撃の口実とするため、家康が以心崇伝らと画策して問題化させたものであるとの考え方が一般的である。[要出典]
引用元:文英清韓 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E8%8B%B1%E6%B8%85%E9%9F%93

文英清韓 ぶんえい-せいかん

?-1621 織豊-江戸時代前期の僧。
臨済(りんざい)宗。文禄(ぶんろく)の役に加藤清正の右筆(ゆうひつ)として随行,のち京都東福寺,南禅寺の住持。方広寺鐘銘を撰(せん)し,文中の「国家安康」が徳川家康の怒りにふれ駿府(すんぷ)に拘禁,のちゆるされた。元和(げんな)7年3月25日死去。伊勢(いせ)(三重県)出身。俗名は中尾重忠。号は不放子。
引用元:文英清韓(ブンエイセイカン)とは – コトバンク https://kotobank.jp/word/%E6%96%87%E8%8B%B1%E6%B8%85%E9%9F%93-622948