「十三代集」『勅撰和歌集』から『新続古今和歌集』まで 『古今和歌集』撰者「紀貫之」「紀友則」「壬生忠岑」「凡河内躬恒」 八代集成立順「古今より 後撰 拾遺に 後拾遺や 金 詞 千載 新古今なり」

023ptutARq
「十三代集」と呼ばれる
勅撰和歌集で最初のものは
『新勅撰和歌集』ですが
最後のものは?
『新後撰和歌集』
『新勅撰和歌集』
『続古今和歌集』
『新続古今和歌集』(答)

071xGtNEbd
次のうち
『古今和歌集』の撰者を
全て選びなさい
紀友則(答)きのとものり
凡河内躬恒(答)おおしこうちのみつね
紀貫之(答)きのつらゆき
壬生忠岑(答)みぶのただみね

CIMG1321yJgXRAoyQxbq
CIMG6072nKhgSpdJHERL
次の「八代集」と呼ばれる
和歌集を成立したのが
早い順に選びなさい
『古今和歌集』
『後撰和歌集』
『拾遺和歌集』
『後拾遺和歌集』
『金葉和歌集』
『詞花和歌集』
『千載和歌集』
『新古今和歌集』

CIMG4684WAKNpLOWvQGq
日本初の勅撰漢詩集
『凌雲集』の編纂を命じた
天皇は誰?
元明天皇
桓武天皇
聖武天皇
嵯峨天皇(答)

279febaterLWD
「七七七五」という
形式をとる和歌の種類は
旋頭歌である
×(答)
◯都々逸
引用元:「七・七・七・五」都々逸 「五・七・七・五・七・七」旋頭歌 「五・七・五・七・七・七」仏足石歌 | わかればいいのに I wish I knew http://seethefun.net/%e6%96%87%e7%b3%bb%e5%ad%a6%e5%95%8f/15154/

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
十三代集
じゅうさんだいしゅう

勅撰和歌集の第9番目の『新勅撰集』から第 21番目の『新続古今集』まで 13の和歌集の総称。『新勅撰集』『続後撰集』『続古今集』『続拾遺集』『新後撰集』『玉葉集』『続千載集』『続後拾遺集』 (以上鎌倉時代) ,『風雅集』『新千載集』『新拾遺集』『新後拾遺集』 (以上南北朝時代) ,『新続古今集』 (室町時代) をさす。
引用元:十三代集(じゅうさんだいしゅう)とは – コトバンク https://kotobank.jp/word/%E5%8D%81%E4%B8%89%E4%BB%A3%E9%9B%86-76993

勅撰和歌集(ちょくせんわかしゅう)は、天皇や上皇の命により編集された歌集のこと。古今和歌集(延喜5年(905年)成立)に始まり、新続古今和歌集(永享11年(1439年)成立)までの534年間で21の勅撰和歌集があり、総称して「二十一代集」という。このほかに南朝で編纂された新葉和歌集を準勅撰集とする。
また編集時期による分類として、三代集(古今集・ 後撰和歌集・拾遺集)・八代集(古今集から新古今集)・十三代集(新勅撰集から新続古今集)とする。(三代集と八代集の対象は重複していることに注意)
引用元:勅撰和歌集 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8B%85%E6%92%B0%E5%92%8C%E6%AD%8C%E9%9B%86

『新勅撰和歌集』(しんちょくせんわかしゅう)は十三代集の最初、通算で第九勅撰和歌集。別名、宇治川集など。
貞永元年(1232年)6月13日、後堀河天皇の下命を受けた藤原定家が単独で撰し、上皇の死後も九条道家・教実父子の後援で編纂事業が引き継がれ、四条天皇代の文暦2年(1235年)3月12日、完成し奏上。仮名序も定家筆。20巻、伝本によって歌数が違うが、1370首強ある。部立は四季(春秋二巻、他一巻)・賀・羇旅・神祇・釈教・恋・雑(恋・雑共に五巻)の順に並び、従来の二十巻の勅撰集において独立した巻を持った哀傷・離別の項目が無く、それぞれ雑歌・羇旅に吸収されている。
引用元:新勅撰和歌集 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%8B%85%E6%92%B0%E5%92%8C%E6%AD%8C%E9%9B%86

こきんわかしゅう〔コキンワカシフ〕【古今和歌集】

最初の勅撰和歌集。八代集の第一。20巻。延喜5年(905)の醍醐天皇の命により、紀貫之(きのつらゆき)・紀友則(きのとものり)・凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)・壬生忠岑(みぶのただみね)が撰し、同13年ころ成立。六歌仙・撰者らの歌約1100首を収め、仮名序・真名序が添えられている。歌風は、雄健でおおらかな万葉集に比べ、優美・繊細で理知的。古今集。
引用元:古今和歌集(こきんわかしゅう)とは – コトバンク https://kotobank.jp/word/%E5%8F%A4%E4%BB%8A%E5%92%8C%E6%AD%8C%E9%9B%86-63702

『新続古今和歌集』(しんしょくこきんわかしゅう)は、室町時代の勅撰集。二十一代集の最後にあたる。
室町幕府第6代将軍足利義教の執奏により、後花園天皇の勅宣を以って権中納言飛鳥井雅世(初名雅清)が撰進、和歌所開闔として堯孝が編纂に助力した。永享五年(1433)八月二十五日下命、同十年(1438)八月二十三日四季部奏覧、翌十一年六月二十七日成立。真・仮名序は共に一条兼良の筆。撰進のために応製百首(永享百首)が召され、宝治(後嵯峨院)・弘安(亀山院)・嘉元(後宇多院)・文保(同)・貞和(尊円法親王)度の百首歌も選考資料となった。
引用元:新続古今和歌集 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E7%B6%9A%E5%8F%A4%E4%BB%8A%E5%92%8C%E6%AD%8C%E9%9B%86

『古今和歌集』(こきんわかしゅう)とは、平安時代前期の勅撰和歌集。全二十巻。勅撰和歌集として最初に編纂されたもの[1]。略称を『古今集』(こきんしゅう)という。
>『古今和歌集』は仮名で書かれた仮名序と真名序[2]の二つの序文を持つが、仮名序によれば、醍醐天皇の勅命により『万葉集』に撰ばれなかった古い時代の歌から撰者たちの時代までの和歌を撰んで編纂し、延喜5年(905年)4月18日に奏上された[3]。ただし現存する『古今和歌集』には、延喜5年以降に詠まれた和歌も入れられており、奏覧ののちも内容に手が加えられたと見られ、実際の完成は延喜12年(912年)ごろとの説もある。
撰者は紀友則、紀貫之、凡河内躬恒、壬生忠岑の4人である。序文では友則が筆頭にあげられているが、仮名序の署名が貫之であること、また巻第十六に「紀友則が身まかりにける時によめる」という詞書で貫之と躬恒の歌が載せられていることから、編纂の中心は貫之であり、友則は途上で没したと考えられている。
>全二十巻で定家本によれば歌数は総勢1111首、前述のように巻頭に仮名序、巻末に真名序が付くが内容はおおよそ同じである。仮名序は紀貫之、真名序は紀淑望の作とされる。伝本によってはまず巻頭に真名序、次に仮名序があってその次に本文がはじまるものがある。ただし真名序を持たない伝本も多い[5]。この両序の関係について、真名序が正式なもので仮名序は後代の偽作とする説(山田孝雄)や、真名序より仮名序のほうが前に書かれたとする説(久曾神昇)、真名序が先でそれを参考に仮名序が書かれ、仮名序が正式採用されたとする説もある。
歌の中には長歌5首・旋頭歌4首が含まれるが、残りはすべて短歌である。二十巻からなる内容は以下の通りである(定家本による)。
引用元:古今和歌集 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%8A%E5%92%8C%E6%AD%8C%E9%9B%86

大昔に予備校の先生から教わった方法ですが…

「古今より 後撰 拾遺に 後拾遺や 金 詞 千載 新古今なり」

と、五七五で覚えました。
引用元:勅撰和歌集(八代集)の覚え方を教えてください。ゴロ合わせとか… – Yahoo!知恵袋 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1115202251