「周」中国古代の王朝 渭水盆地 洛邑へ遷都 封建体制


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渭水(いすい)盆地に建国
鎬京(こうけい)から洛邑に遷都
封建制度
宗法による血縁支配維持



周(答)
48%


中国の古代王朝
紀元前16~11世紀
湯王が夏を滅ぼして創始
周の武王に滅ぼされる
殷(答)

中国の殷に続く王朝。前半を西周、後半を東周(春秋戦国時代)に分ける。

周は黄河の支流渭水流域にあった邑の一つで、はじめ殷の支配を受けていた。文王の時に宰相太公望などの補佐もあって有力となり、前1050年頃、文王の子の武王が殷の紂王を牧野(ボクヤ)の戦いで破り、華北一帯を支配した。都は渭水流域の鎬京(こうけい)に置いたが、殷を滅ぼして中原を支配するようになってからは、中原統治の便を考慮して、河南省の洛陽(かつての洛邑)を副都とした。
 文王、武王に続いて成王の時には王位継承をめぐって反乱が起こったが、武王の兄弟の周公が成王を補佐して乱を鎮め、支配を安定させた。周は殷時代の卜占による神権政治を脱し、封建制を作り上げ、諸侯を各地に封じて長期にわたって華中地方に支配秩序を維持した。
 周は文化史的には殷の青銅器文化や甲骨文字を引き継いだだけで新たな文化的な展開にはとぼしかったが、周王室と血縁関係にある諸侯を各地に封じ、国を建てて統治させるという封建制の体制を作りあげた。後の孔子ら儒家の思想家はこの周の時代を「礼」の理念で統治された理想的な時代ととらえている。
引用元:周/西周 http://www.y-history.net/appendix/wh0203-020.html


現在、存在が明らかにされている中国最古の王朝。本来は商といった。

前1550年、殷の湯王が、夏の暴君桀を滅ぼし、王朝を建てた(このような武力による政権交代を、放伐という)。都は河南省の二里崗遺跡の城郭がそれに当たると考えられている。以後、何度か遷都を繰り返し、次第に黄河中流中原に支配権を拡大していった。前13世紀に19代の王盤庚のとき、河南省安陽県の殷墟の地に遷都し、以後最後の紂王が前11世紀に周に倒されるまで続く。甲骨文字によるとこの都は大邑商と言われ、殷も当時は商といった。殷は高度な青銅器製造技術を持ち、甲骨文字を使用した。
引用元:殷(商) http://www.y-history.net/appendix/wh0203-015.html

斉(春秋・戦国)
春秋・戦国時代の有力国の一つ。黄河下流の山東省を支配。春秋時代には桓公が五覇の一人とされ、戦国時代には七雄の一つとされた。最も遅く秦に滅ぼされた

周のはじめ、有名な周の太公望が封じられて以来の由緒ある国で、春秋時代には斉の桓公が最も早く覇を唱えて覇者となり、春秋の五覇の第一とされ、最も栄えた。
引用元:斉(春秋・戦国) http://www.y-history.net/appendix/wh0203-042.html


春秋・戦国時代の有力国。長江中流を支配し、戦国時代には七雄の一つに数えられた。

楚は長江の中流域にあった国で、周(西周)から封じられたとされるがその起源は不明である。ある時から周王との封建関係を解き、みずから王を称するようになった。前7世紀ごろから次第に有力となり、しばしば北上して周王室をはじめ、晋などの黄河流域や中原の諸国を脅かすようになった。前7世紀末から前6世紀初めの楚の荘王は、北方の晋を破って中原に進出するなど有力となった。荘王は春秋の五覇の一人とされることもある。
引用元:楚(戦国) http://www.y-history.net/appendix/wh0203-044.html