「林董」はやしただす 初代駐英大使を務めた外交官 日英同盟に尽力

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日英同盟の成立に尽力した
明治時代の外交官
林董
はやしただす(答)

林 董(はやし ただす、1850年4月11日(嘉永3年2月29日) – 1913年(大正2年)7月20日)は幕末の幕臣。明治期の日本の外交官、政治家。伯爵。初代陸軍軍医総監・男爵の松本良順は実兄。
董三郎(とうさぶろう)とも。変名、佐藤 東三郎(さとう とうさぶろう)。
>1902年(明治35年)1月30日に、在英日本公使としてロンドンで日英同盟を調印した。このときの英国代表は外務大臣の第5代ランズダウン侯爵ヘンリー・ペティ=フィッツモーリスであった。1903年5月、イギリスのエンパイア・ロッジ・ナンバー2108にてフリーメイソンに入会[1]。翌年、同ロッジのマスター(総責任者)に就任。日本人初のロッジ・マスターとされる。
日露戦争後の1905年(明治38年)12月2日、ロンドンの在英日本公使館が昇格して大使館となった。林董は初代駐英大使に任命され、日本の外交官としては初めての大使となった。
林董 – Wikipedia

20世紀日本人名事典の解説
林 董
ハヤシ タダス
明治期の外交官,伯爵 外相。

生年嘉永3年2月29日(1850年)
没年大正2(1913)年7月10日
出生地江戸
出身地下総国佐倉本町(千葉県佐倉市)
旧姓(旧名)佐藤
別名幼名=信五郎,董三郎
経歴下総佐倉藩医で蘭方医の佐藤泰然の五男に生まれる。文久2年(1862年)父に従い横浜に出、浜田彦蔵(通称ジョセフ・ヒコ アメリカ彦蔵)やヘボン夫人らに英語を学ぶ。同年幕府の御典医であった林洞海の養子となる。慶応2年(1866幕命で英国留学、4年(1868年)帰国。義弟の榎本武揚軍に従って箱館で戦い、敗れた。明治3年釈放され、4年新政府の神奈川県出仕、同年外務省に入り岩倉遺外使節団に随行。6年帰国、工部少丞、工部権大書記官、逓信大書記者、逓信省内信局長、香川・兵庫各県知事を歴任し、24年外務次官。28年駐清国公使、30年駐ロシア公使、33年駐英公使となり日英同盟締結に尽力。38年駐英大使。39年第1次西園寺内閣の外相となり、日露・日仏協商締結を行う。
林 董(ハヤシ タダス)とは – コトバンク

(リンク先に画像あり)
1905(明治38)年12月2日 林董(はやし・ただす)を特命全権大使に任じた辞令書
>在英国日本公使館の大使館昇格に伴い,在英国林董公使に交付された辞令書です。
外務省: 外交史料館に聞いてみよう!「外交史料Q&A」展


ただす。監督し管理する。 しんになるたいせつなもの。 とは、会社その他の団体で公に選ばれて、主に事務をとる人のこと。

画数
12 (その他の12画の漢字)
音読み
トウ
訓読み
ただす
熟語
骨董
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