「七・七・七・五」都々逸 「五・七・七・五・七・七」旋頭歌 「五・七・五・七・七・七」仏足石歌

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「七七七五」という
形式をとる和歌の種類は
旋頭歌である
×(答)
◯都々逸

旋頭歌(せどうか)は、奈良時代における和歌の一形式。『古事記』『日本書紀』『万葉集』などに作品が見られる。
五七七を2回繰り返した6句からなり、上三句と下三句とで詠み手の立場がことなる歌が多い。頭句(第一句)を再び旋(めぐ)らすことから、旋頭歌と呼ばれる。五七七の片歌を2人で唱和または問答したことから発生したと考えられている[1]。
国文学者の久松潜一は『上代日本文学の研究』において、旋頭歌の本質は問答的に口誦するところにあるとの考えを示し、他の研究者もこれを支持している。一人で詠作する歌体もあるが、これは柿本人麻呂によって創造されたとの説がある[2]。
『万葉集』には62首の旋頭歌がおさめられ、そのうち35首までが「柿本人麻呂歌集」からのものである。『万葉集』以後は急速に衰え、『古今和歌集』以下の勅撰和歌集ではまれである。
旋頭歌 – Wikipedia

都々逸(どどいつ)は、江戸末期に初代の都々逸坊扇歌(1804年-1852年)によって大成された口語による定型詩。七・七・七・五の音数律に従う。
>元来は、三味線と共に歌われる俗曲で、音曲師が寄席や座敷などで演じる出し物であった。 主として男女の恋愛を題材として扱ったため情歌とも呼ばれる。
七・七・七・五の音数律に従うのが基本だが、五字冠りと呼ばれる五・七・七・七・五という形式もある。
都々逸 – Wikipedia

仏足石歌(ぶっそくせきか)は、仏足石(仏足跡)の歌とも呼び、薬師寺の仏足跡歌碑に刻まれた21首の歌、およびそれと同じ歌体を持つ和歌を言う。
>奈良薬師寺には、仏足石とともに仏足跡歌碑があり、「恭仏跡」(仏徳を賛えたもの)17首、「呵責生死」(世の無常の道理を説いて仏道を勧めるもの)4首の仏教歌謡が、一字一音の万葉仮名で刻まれている。
仏足石は天武天皇の孫・文屋智努(文室浄三、智努王)が753年(天平勝宝5年)亡き夫人(または母ともいわれる)の追善のために作ったもので、仏足石歌もこの頃作られたと見られている。仏足石歌の作者は明らかでない。
仏足石歌の歌体はすべて五・七・五・七・七・七の6句からなり、6句目はその前の5句目を言い換えたものが多く、この歌体は結句を繰り返して歌う上代歌謡に起源をもつといわれている。6句目はそれまでの文字よりも小さく刻まれている。
仏足石歌 – Wikipedia

参考・音数律と拍数

短歌    57577
俳句、川柳 575
片歌    577
旋頭歌   577/577
長歌    57×n+7
連歌    (575/77)×n
仏足石歌  575777
和讃、今様 75×4   または85×4
謡曲    575+75×n
浄瑠璃   75×n
都都逸   7775
 HP「音読・朗読・表現よみの学校」より引用 日本語のリズム(1)音数律