井上「準之助」血盟団事件で暗殺された元大蔵大臣 浜口雄幸内閣で「金解禁」 「小沼正」おぬましょう「井上準之助を暗殺した血盟団団員」 「山口二矢」やまぐちおとや「社会党党首浅沼稲次郎を暗殺」

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1932年に起こった連続テロ
血盟団事件で暗殺された
元大蔵大臣は井上◯◯◯?
◯の名前をひらがなで答えなさい
じゅんのすけ(答)
「井上準之助」

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1932年に前大蔵大臣・井上準之助
を暗殺した血盟団のメンバーです
小沼正
おぬましょう(答)

関連人物、井上日召(いのうえにっしょう)から「しょう」の読みができれば良いですね。山口二矢も復習しましょう。


1960年に社会党の浅沼稲次郎を暗殺
山口二矢
やまぐちおとや(答)

井上 準之助(いのうえ じゅんのすけ、明治2年3月25日(1869年5月6日) – 昭和7年(1932年)2月9日)は、日本の政治家、財政家。日本銀行第9、11代総裁。山本、濱口、第2次若槻内閣で大蔵大臣に就任。貴族院議員。
>野党に転落した民政党を井上はあくまでも支えた。[3]。元老である西園寺公望に次の総理大臣候補として期待されていたという。民政党の総務を任され、第18回衆議院議員総選挙の選挙委員長も引き受けた。しかし、蔵相時代の経済の悪化などを理由に血盟団の暗殺の標的となっており、昭和7年(1932年)2月9日、選挙への応援演説に向かう途中の道で小沼正により暗殺された(血盟団事件)。墓は青山霊園にある。
日本経済聯盟会(日本経済団体連合会の前身)の結成や東洋文庫の創設に尽力。また、日本へのゴルフ普及の功労者でもあり、東京で最初のゴルフ場である『東京ゴルフ倶楽部』の設立呼びかけ人となっている。遺族によると、死の数日後にゴルフクラブ一式が贈られてきたので、ドライバー一本を棺に納めたという。
引用元:井上準之助 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%95%E4%B8%8A%E6%BA%96%E4%B9%8B%E5%8A%A9

井上準之助 いのうえ-じゅんのすけ

1869-1932 大正-昭和時代前期の財政家,政治家。
明治2年3月25日生まれ。29年日銀にはいり,横浜正金銀行頭取をへて,大正8年日銀総裁となる。12年蔵相。昭和2年日銀総裁に再任され,金融恐慌の収拾につとめる。4年浜口内閣の蔵相となり,緊縮財政を推進して金解禁を断行するが,解禁政策の破綻により下野。民政党総務として選挙運動中の昭和7年2月9日,血盟団員の小沼正(おぬま-しょう)に射殺された。64歳。豊後(ぶんご)(大分県)出身。帝国大学卒。
引用元:井上準之助(いのうえ じゅんのすけ)とは – コトバンク https://kotobank.jp/word/%E4%BA%95%E4%B8%8A%E6%BA%96%E4%B9%8B%E5%8A%A9-15460

東京帝国大学卒。明治29年(1896)日本銀行に入行。30年に英国・ベルギーに留学。帰国後、大阪支店長・営業局長などを歴任。44年横浜正金銀行に入り、頭取を経て、大正8年(1919)に日銀総裁に就任した。12年に山本権兵衛内閣の蔵相となり、翌年貴族院議員に勅選。昭和2年(1927)高橋是清蔵相の下で再び日銀総裁となる。4年浜口雄幸内閣の蔵相となり、金解禁を実施。6年に辞任後、民政党総務となるが、血盟団事件で暗殺された。
引用元:井上準之助 | 近代日本人の肖像 http://www.ndl.go.jp/portrait/datas/235.html

小沼 正(おぬま しょう、1911年〈明治44年〉12月29日 – 1978年〈昭和53年〉1月17日)は、昭和時代の日本の国家主義者・テロリスト・業界公論社社長。別名は広晃。血盟団メンバー。
>重なる挫折を味わっていた1930年(昭和5年)に井上日召を知り、血盟団に加わった。立正護国堂に入り、日蓮信仰と国家革新の思想を学んだが、やがて井上日召の家父長的カリスマの影響下に捨て石的革命運動に没入。絶望的な反抗心を育み、テロリズムに到達していった。
1932年(昭和7年)2月9日に総選挙の応援演説のため、東京・本郷の駒本小学校を訪れた前大蔵大臣の井上準之助が校門にさしかかった時に、小沼は背後から銃弾3発を撃ち込んだ。井上準之助は第1弾を右胸部、第2弾を左腰部、第3弾を脊椎に撃たれて絶命した(血盟団事件)。
引用元: 小沼正 – Wikipedia.

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説
小沼正 おぬま-しょう

1911-1978 昭和時代の国家主義者。
明治44年12月29日生まれ。昭和5年井上日召(にっしょう)を知って立正護国堂にはいり,日蓮信仰と国家革新の思想をまなぶ。血盟団の一員として,7年前蔵相井上準之助を射殺し無期懲役となる。15年仮出所し,29年業界公論社社長。昭和53年1月17日死去。66歳。茨城県出身。別名は広晃。
引用元: 小沼正(おぬま しょう)とは – コトバンク.

山口 二矢(やまぐち おとや、1943年(昭和18年)2月22日 – 1960年(昭和35年)11月2日)は、日本の右翼活動家、民族主義者および反共主義者で、1960年(昭和35年)10月12日に発生した浅沼稲次郎暗殺事件の実行犯である。
1960年(昭和35年)10月、政党代表放送で演説中の日本社会党の党首浅沼稲次郎を小刀で殺害した。逮捕後、「後悔はしていないが償いはする」と口にして裁判を待たず、東京少年鑑別所内で「天皇陛下万歳、七生報国」との遺書を残して首吊り自殺した。
引用元: 山口二矢 – Wikipedia.

「二矢」ってなんて読むかわかりますか?
(ちなみに男の子の名前です)

「二矢」と書いて

「おとや」と読むそうです。

本来は「乙矢」と書き、

意味は弓道で二本目に射る矢のことです。
引用元: 螢雪紹介ブログ|螢雪ゼミナール | やる気になる!結果が出る!ケイセツ!小中高一貫教育の学習塾.

おと‐や【▽乙矢】
弓道で、2本持って射る矢のうち、2番目に射る矢。二の矢。
引用元: おとや【乙矢】の意味 – 国語辞書 – goo辞書.