「高松凌雲」箱館戦争で日本初の赤十字活動をした医者 同愛社

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幕末の箱館戦争に参加し、敵味方
の区別なく治療したという医師で
後に民間救護団体の先駆けである
同愛社を創設したのは?
寺松凌則
重野安雲
山島宗繹
高松凌雲(答)
たかまつりょううん

佐野常民も復習します。

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この映像から連想される
人物は?
(動画出題)
榎本栄龍
渋野武一
江川英揚
佐野常民(答)
さのつねたみ
引用元: 佐野常民「佐賀藩士」「湯島聖堂で博覧会」「日本赤十字社を創設」 江川英龍「日本初パンを焼く」「品川に砲台を建設」「韮山に反射炉を建造」 | わかればいいのに I wish I knew.

高松 凌雲(たかまつ りょううん、天保7年12月25日(1837年1月31日)- 大正5年(1916年)10月12日)は、幕末 – 明治期の医師。現在の福岡県小郡市出身。名は権平。荘三郎。箱館戦争においては箱館病院を開院。その後、民間救護団体の前身と言われる同愛社を創設。日本における赤十字運動の先駆者とされる。
>箱館に入ると、凌雲は箱館病院の院長に就任する。これは榎本の依頼ではあったが、「病院の運営には一切口出ししないこと」という条件を榎本につけたという。ここで凌雲は、戦傷者を敵味方を問わず治療した。当然、最初は敵方の兵士と共に治療されることに対して混乱・反発が生じたが、凌雲はパリ留学で学んだ精神を胸に、毅然とした態度でこれを制したとされる。この行動は日本で初めての赤十字の活動であり、日本史において大きな出来事である。
引用元: 高松凌雲 – Wikipedia.

天保7年(1836)、古飯の庄屋高松家の三男として生まれた高松凌雲は、24才の時にて医学の道を志します。江戸で医学の修行をした後、大阪の適塾に入門。その後一橋家に仕官したのをきっかけに、慶応2年(1866)には15代将軍徳川慶喜の奥詰医師を命ぜられました。慶応3年には徳川昭武(慶喜の実弟)に随行して渡仏した凌雲は、そのまま欧州にとどまり、医術(外科学)の研究を続けていましたが、翌年、戊辰戦争勃発の報せを受け、急遽帰国の途につきます。帰国後は幕軍と行動を共にしますが、病院頭取として敵味方の別なく傷病兵の治療にあたりました。戦争終了後、一町医者として開業し、明治12年(1879)には医師仲間と「同愛社」を設立し、貧民施療に努めました。大正5年(1916)東京の自邸で81才の生涯を閉じますが、「同愛社」は昭和20年(1945)まで続き、戦前の日本における社会福祉医療の一端を担っていました。現在、顕彰碑を建て、凌雲の業績を称えています。
引用元: 小郡市観光協会 :: 高松凌雲顕彰碑.