ひらてみき「平手造酒」『天保水滸伝』笹川繁蔵(ささがわのしげぞう)の子分 おたにのぶとも「男谷信友」幕末の剣聖

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講談『天保水滸伝』にも登場する
千葉道場の門下生だった剣豪です
平手造酒
ひらてみき(答)

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早い者勝ち
次のうち、「幕末の三剣士」と
呼ばれた剣豪を1つ選びなさい
×岡田以蔵
×河上彦斎
○島田虎之助
○男谷信友
×斎藤一
×佐々木只三郎
○大石進
×渡辺篤


次のうち幕末の江戸に道場を開き三剣士とうたわれた剣豪を全て選びなさい
○千葉周作
○桃井春蔵
○斉藤弥九郎
×山岡鉄舟
×清河八郎
×藤田東湖

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「幕末の剣聖」と呼ばれた
江戸時代の剣客です
男谷信友
→おたにのぶとも

平手 造酒(ひらて みき)は、江戸時代幕末の剣客。本名は平田深喜、名は深木、三亀とも書く。
>仙台藩士あるいは紀州藩士とか諸説あるが、流浪の末下総国香取郡松崎(現在の神崎町松崎)の名主宅に身を寄せ剣術道場を開いていた浪人といわれる。博徒の親分笹川繁蔵と知り合い、天保5年(1844年)8月6日、飯岡助五郎との大利根河原の決闘に笹川方の助っ人として参加し闘死した(臨終は翌日の朝)。享年30、あるいは30代とも。
>講談や浪曲の『天保水滸伝』では、江戸は神田お玉ヶ池の千葉道場で千葉周作門下の俊英であったが、酒乱のため破門されて胸の病におかされながら博徒の用心棒となった素浪人として語られ、笹川繁蔵や飯岡助五郎に劣らぬキャラクターとして人気を博した。
引用元: 平手造酒 – Wikipedia.

世界大百科事典 第2版の解説
ひらてみき【平手造酒】

?‐1844(弘化1)
江戸後期の博徒の用心棒。出身などはいっさい不明である。江戸の神田お玉ヶ池の千葉道場の俊英であったが破門され,田舎回りの剣術指南で歩く浪々の身となった。下総の笹川で博徒の親分繁蔵と知り合い,その客分となり,大利根河原の決闘で斬り結ぶうち全身に傷を負い,後に死んだ。この平手造酒のイメージは,講談,浪曲の《天保水滸伝》で作られたものである。実名は平田深喜という。一説によると,笹川繁蔵は平田を飯岡助五郎方のスパイと疑い,出入りの直前に刀を取りあげてしまったので,平田はやむをえず,やくざ物の脇差で戦ったが,すぐに鍔元より折れ,11ヵ所の切傷を受け落命したという。
引用元: 平手造酒(ヒラテミキ)とは – コトバンク.

笹川繁蔵(ささがわ の しげぞう、幼名:福松、本名:岩瀬繁蔵。文化7年(1810年) – 弘化4年7月4日(1847年8月14日))は江戸時代の侠客で、千賀ノ浦部屋に籍を置いた角力(力士)。講談で知られる『天保水滸伝』の同名の作中人物のモデル。
>下総国海上郡笹川村(現・千葉県香取郡東庄町)に住まい、大親分として侠名をうたわれた。子分には、平手造酒や、角力(力士)の勢力富五郎等がいる。
引用元: 笹川繁蔵 – Wikipedia.

File 147 天保水滸伝遺品館

かって歌舞伎の題材として絶大な人気を誇った「天保水滸伝」。
その物語の舞台となった地に博物館があるという。
はたしてどのような場所なのか?
>まずは「天保水滸伝」という話について説明せねばなるまい。

抑えておきたい主な登場人物は4人。

笹川繁蔵(ささがわ の しげぞう)・・・この物語の主人公の1人。
香取郡東庄町生まれの元相撲取り。
ギャンブラーになってしまい、そのままギャンブルの元締めに。

飯岡助五郎(いいおか すけごろう)・・・この物語の主人公の1人。
横須賀市生まれの元相撲取り。
その後相撲取りを廃業して、旭市飯岡町に漁業のために移住。
漁業、ギャンブルの元締め、十手持ちの3つの顔を持つ。

平手造酒(ひらて みき)・・・笹川の用心棒的な人。
腕が立つが、病気の身で死ぬまで戦う感じ。
キャラ的には新撰組の沖田総司みたいなもん。

勢力富五郎(せいりき とみごろう)・・・笹川の子分。
笹川繁蔵が飯岡助五郎に暗殺されて、仇討ちをしようとするが、失敗して自殺。
キャラ的には銀河英雄伝説で言う、ユリアン・ミンツみたいな人。

話の流れはというと・・・
佐原の笹川繁蔵と、飯岡の飯岡助五郎の賭場の縄張り争いを巡るケンカがあり、
最初の激闘は笹川が勝利するも、飯岡が公権力を駆使して笹川の勢力が削がれる。
ボロボロになった笹川は数年の雌伏後、復活。
笹川に再び仲間が集結、飯岡を再び倒そうとするが暗殺される。という流れです。
そして、これらの話は全て実話です。
引用元: ちBポ 千葉の愛しきB級スポット達.