有名な条約「サン・ステファノ条約」「カンポ・フォルミオ条約」「キュチュク・カイナルジ条約」「ブレスト・リトフスク条約」「カトー・カンブレジ条約」

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次の文字列を組み合わせて
世界史上に残る有名な
条約の名前にしなさい
サン───ステファノ条約
カンポ───フォルミオ条約
キュチュク───カイナルジ条約
ブレスト───リトフスク条約
カトー───カンブレジ条約

露土戦争(1877‐78)の結果,オスマン帝国とロシアとの間で,1878年3月イスタンブールの西郊サン・ステファノSan Stefano(アヤ・スタファノスともよばれ,現在のイェシルキョイYeşilköy)において調印された講和条約。
引用元: サン・ステファノ条約 とは – コトバンク

カンポ・フォルミオ条約(カンポ・フォルミオじょうやく、仏: Traité de Campo-Formio, 英: Treaty of Campo Formio, 1797年10月18日〈革命暦6年ヴァンデミエール27日〉)は、フランス革命戦争の講和条約の1つ。カンポ・フォルミオの和約(カンポ・フォルミオのわやく、英: Peace of Campo Formio)とも呼ばれる。この条約によって、ヴェネツィア共和国とジェノヴァ共和国が消滅した。
引用元: カンポ・フォルミオ条約 – Wikipedia

1774年締結された露土戦争(1768年―1774年)の講和条約。名称はブルガリア北東部の条約締結地にちなむ。クチュク・カイナルジ条約とも。ロシアはドン,ドニエプル両河口,アゾフ海沿岸地帯を割取,黒海自由航行権とダーダネルス海峡とボスポラス海峡の出入権を獲得した。
引用元: キュチュク・カイナルジャ条約 とは – コトバンク

第一次大戦末の1918年3月、ロシア革命政権がドイツおよびその同盟国と結んだ講和条約。新生のソビエト政権は革命の防衛に追われていたため、大幅な領土喪失を認めたが、ベルサイユ条約で無効となった。
引用元: ブレストリトフスク条約 とは – コトバンク

カトー=カンブレジ条約(仏:Traités du Cateau-Cambrésis, 独:Frieden von Cateau-Cambrésis, 西:Paz de Cateau-Cambrésis)は、16世紀前半のイタリアを巡る戦争(イタリア戦争)を争ったヴァロワ朝(フランス)とハプスブルク家(オーストリア・スペイン)が1559年に結んだ講和条約。カトー=カンブレジ (Le Cateau-Cambrésis) は、フランス北部ノール県の町で、アンリ・マティスの生地でもある。
引用元: カトー・カンブレジ条約 – Wikipedia