【やま】売り切れ、笹

すし屋の隠語の一つで
大阪の地名から
「きづ」と呼ばれるものは?
白身魚のオボロ【嵯峨や】
赤貝【たま】
のり【くさ】
かんぴょう(答)
47%

干瓢(かんぴょう)は、ユウガオの果実(ふくべ[3])を紐状に剥いて、乾燥させた食品(乾物)である。「乾瓢」と表記されることもある[4]。

水で戻して煮て、巻き寿司の具材や、煮物、和え物などとして使われる。低カロリーで食物繊維に富む。

産地
『毛吹草』や『五畿内志』などの文献によれば、大坂の木津村が古くからかんぴょうの産地として有名であり、神功皇后伝説に由来する日本のかんぴょう発祥の地とされている[9]。江戸時代にかんぴょうの生産は水路を経て近江国の水口(現在の滋賀県甲賀市)に伝わり、近江の特産品となった[9]。歌川広重の浮世絵連作『東海道五十三次』では、水口宿の絵に干瓢を干す姿が描かれている。 かんぴょうの主産地は20世紀以後、栃木県南部が主な産地となっており、日本のかんぴょう生産の8割以上を占めている。1712年に水口藩藩主だった鳥居忠英が下野国壬生藩に国替えとなった際に、水口からユウガオの種を取り寄せたことが栃木県のかんぴょう生産の始まりといわれている[9]。

日本で消費される干瓢のうち、8割は輸入品(中国産など)で、主に業務用で使われる。国産は2割で、消費者へ直接小売りされる商品に多い[3]。

木津巻き
寿司屋の符牒で干瓢巻きのことを「木津巻き」と呼ぶ。その由来には下記のように諸説があり、いずれもゆかりの地名から取っているとされる。

摂津国木津が干瓢生産の発祥の地といわれ、また干瓢生産が盛んであったから。
山城国から木津川を下り摂津の木津へ運ばれ、そこで干瓢巻が誕生したから。大正時代から昭和にかけて大阪の市場では山城の木津干瓢はブランドとなっていた。故に、関西では干瓢のことを木津とも呼んでいた。
正徳二年に近江国水口藩から下野国壬生藩に国替えになった鳥居忠英が、干瓢の栽培を奨励したことが、今日の栃木県の干瓢生産の興隆につながっている。その水口藩内の産地が木津であったから。
引用元:かんぴょう – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8B%E3%82%93%E3%81%B4%E3%82%87%E3%81%86

符牒 「おぼろ」を「さがや」という
     
「サッと軽く酢にくぐらせてから昆布〆したサヨリを8真一文字に握り、淡白なゆえにチョットおぼろ(さがや)をのせる」
「酢の効いた粋なコハダ(小肌)は包丁の切れ目が2本入り、シャリにおぼろをかませて握る。」
古来の江戸前の握りずしである。
すし屋同士で使う口頭符丁で「おぼろ」を「さがや」と呼ぶ。浄瑠璃の常磐津節の詞章「忍夜恋曲者(しのびよるこいはくせもの)」。通称「将門(まさかど)」の歌詞で 「嵯峨(さが)や御室(おむろ)の花盛り、浮気な蝶も色かせぐ、廓(くるわ)の者に連れられて、外(そと)珍しき嵐山(あらしやま)」から御室をおぼろに掛け、 その枕詞の呼びかけの嵯峨や~を洒落て言い換えた
引用元:すしの基礎知識編2 http://shizuoka-sushi.com/sp/sushinotisiki2.html