『伝七捕物帳』陣出達朗『右門捕物帖』佐々木味津三『若さま侍捕物手帖』城昌幸

捕物帳のシリーズで
『半七捕物帳』の作者は?
岡本綺堂(答)

陣出達朗
久生十蘭
横溝正史
48%

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源頼朝を主人公とした
1911年発表の戯曲
『修禅寺物語』の作者は?
野村胡堂
藤森成吉
長谷川伸
岡本綺堂(答)
引用元:『修禅寺物語』岡本綺堂 「大谷洌子」おおたにきよこ 木下順二『夕鶴』つう役 | 【QMA復習】わかればいいのに https://seethefun.net/%e8%8a%b8%e8%83%bd/19542/

岡本綺堂(おかもと きどう、1872年11月15日(明治5年10月15日) – 1939年(昭和14年)3月1日) は、小説家、劇作家。本名は岡本 敬二(おかもと けいじ)[1]。別号に狂綺堂、鬼菫、甲字楼など。新歌舞伎の作者として知られ、また著名な作品として小説「半七捕物帳」などがある。

養子の岡本経一は、出版社「青蛙房」の創業者であり、社名は綺堂の作品「青蛙堂鬼談」に由来している。

半七捕物帳[編集]
1916年にアーサー・コナン・ドイルのシャーロック・ホームズを読み刺激されて探偵小説への興味が起き、自分でも探偵ものを書こうと考えたが、現代ものを書くと西洋の模倣になりやすいので純江戸式で書くことにして、3篇を執筆、『文芸倶楽部』から連載物を頼まれてこれを「半七捕物帳」の題で渡し、翌年1月号から連載された。これが好評となり引き続き執筆する。1919年から「半七聞書帳」の題で、半七が先輩の話を聞き書きする体裁で9編を書き、一旦執筆を終了。その後単行本化されて人気が高まり、1924年の『苦楽』創刊の際、川口松太郎の依頼で続編執筆を依頼されるが、半七はもう書くことが無いと断り、それ以外の昔話ということで、半七老人の知人の三浦老人から江戸期の奇妙な話を聞くという「三浦老人昔話」を連載。1934年に、半七のファンだと言う講談社の野間清治社長の意向で『講談倶楽部』から依頼で半七もの執筆を再開。65歳まで書き続け、1937年までに計69作品となった。最後の作品「二人女房」はまた綺堂最後の小説ともなった。

半七ものは綺堂脚色によって1926年に六代目菊五郎が演じたのを始め、これらの昔話の巷談は、戦後の話芸においても落語の林家彦六、三遊亭圓生、講談の悟道軒圓玉、物語の高橋博、倉田金昇などの高座で使われた。綺堂は新聞社時代に榎本武揚や勝海舟も訪問しており、この経験が作品に生かされている。経緯は、岡本経一『「半七捕物帳」解説』(青蛙房、2009年)に詳しい。

以下は現行版一覧。

『半七捕物帳』 光文社文庫(全6巻) 1985-1986、新装版2001
『半七捕物帳』 春陽堂書店(春陽文庫、全7巻) 1999-2000
『読んで、「半七」!』、『もっと、「半七」!』 〈半七捕物帳傑作選 1・2〉北村薫・宮部みゆき編、ちくま文庫、2009
『半七捕物帳 初手柄編』ハルキ文庫 2014
『半七捕物帳 年代版』 まどか出版(全8巻の予定であったが、第5巻で途絶)、2011-2013。注釈、地図、年表など入り、砂川保夫解説
引用元:岡本綺堂 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E6%9C%AC%E7%B6%BA%E5%A0%82

陣出 達朗(じんで たつろう、1907年(明治40年)2月14日 – 1986年4月19日)は、石川県出身の日本の時代小説家。第3代日本作家クラブ会長。

人物[編集]
小松市生まれ。本名・中村達男。兄が南満州鉄道に勤めていたため満州にわたり、奉天中学校に入学したが病気のため帰郷、金沢中学校(現・金沢高等学校)四年修了。1929年(昭和4年)日活脚本部に入社する。のち右太プロ脚本部に転じたが、再び日活に戻る。

1933年(昭和8年)、『さいころの政』で第12回「サンデー毎日」大衆文芸賞を受賞。1938年(昭和13年)会社を辞し脚本家から作家に転身する。

『遠山の金さん』シリーズ、『伝七捕物帳』シリーズの作者として知られる。ただし『伝七』については当初、「捕物作家クラブ」[1]参加作家による合同企画で1951年(昭和26年)3月から1960年(昭和35年)10月まで京都新聞に連載された『黒門町の傳七捕物帳』が基になっており[2]、後年、その「新作」として単独で『伝七捕物帳』を執筆しているため、完全なオリジナル作品ではない。『金さん』、『伝七』をはじめとして、多くの作品が映像化されている。
引用元:陣出達朗 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%A3%E5%87%BA%E9%81%94%E6%9C%97

久生 十蘭(ひさお じゅうらん、1902年4月6日 – 1957年10月6日)は日本の小説家、演出家。北海道函館市出身、本名阿部正雄[1]。推理小説、ユーモア小説、歴史・時代小説、現代小説、ノンフィクションノベルなど多彩な作品を手掛け、博識と技巧な執筆で「多面体作家」「小説の魔術師」と呼ばれた。

作品[編集]
スピーディーな文体と的確な人間観察による、逆説的な論理と、めまぐるしく反転する展開を盛り込んだ作風。現代小説、特に探偵小説や捕物帖を多く執筆した。「海豹島」「地底獣国」のような秘境冒険小説、時代小説などの作品もある。「無惨やな」は『近世実録全書』の中の「姫路隠語」、「ハムレット」はルイジ・ピランデルロの「エンリコ四世」、「無月物語」はスタンダールの「チェンチ一族」を種本にし、「鈴木主水」は講談の同名作の設定に基づいているが、いずれも作者独自の小説に仕上げられている[4]。
引用元:久生十蘭 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%85%E7%94%9F%E5%8D%81%E8%98%AD

『顎十郎捕物帳』(あごじゅうろうとりものちょう)は、久生十蘭による時代小説。

1939年(昭和14年)1月から1940年(昭和15年)7月まで雑誌『奇譚』(奇譚社)に連載された。他に、雑誌『新青年』(博文館)1940年6月号に掲載された「遠島船」などがあり、全24話が執筆されている。なお、連載時の筆名は「六戸部力」(むとべ つとむ)、最初に単行本化された際の筆名は「谷川早」(たにかわ はやし)であった[1]。

幕末の江戸を舞台とした、人並外れた巨大な顎を持つ「顎十郎」こと仙波阿古十郎(せんば あこじゅうろう)を主人公とする捕物帳である。顎十郎は物語前半では北町奉行所同心であったが、物語中盤で、ある失敗から引責辞職し、以後は駕籠屋に転職する。

のち、都筑道夫が遺族の許可を得て、1980年(昭和55年)から1985年(昭和60年)にかけて『新顎十郎捕物帳』を執筆している。

1957年(昭和32年)、1968年(昭和43年)にテレビドラマ化された。
引用元:顎十郎捕物帳 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A1%8E%E5%8D%81%E9%83%8E%E6%8D%95%E7%89%A9%E5%B8%B3

横溝 正史(よこみぞ せいし、1902年(明治35年)5月24日 – 1981年(昭和56年)12月28日)は、日本の小説家、推理作家。本名は同字で「よこみぞ まさし」である。当初は筆名も同じ読みであったが、誤読した作家仲間にヨコセイと渾名されているうちに、セイシをそのまま筆名とした[1]。兵庫県神戸市東川崎(現在の中央区、神戸ハーバーランド界隈)生まれ[2]。

金田一耕助を探偵役とする一連の探偵小説で知られる。また、薬剤師の免許を持っていた。
引用元:横溝正史 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%AA%E6%BA%9D%E6%AD%A3%E5%8F%B2

『人形佐七捕物帳』(にんぎょうさしちとりものちょう)は、横溝正史作の時代小説シリーズ、またそれを原作とした映画・テレビドラマ作品である。

神田お玉が池に住む岡っ引きの人形佐七が、次々と江戸の事件を解決してゆく。よく練られたトリックと冴え渡る推理、一見おどろおどろしい筋立てや濃密な性描写などが特徴である。人情話が主体で、成り行きで解決することも少なくない他の捕物帳ものとは一線を画す。美男で好色な佐七と焼きもち焼きの年上女房お粂との夫婦喧嘩、佐七の子分の江戸っ子の辰と上方っ子の豆六のやりとりなど、ユーモラスな描写もある。

全180編に及ぶ捕物(時代劇)シリーズで、岡本綺堂『半七捕物帳』、野村胡堂『銭形平次 捕物控』、佐々木味津三『右門捕物帖』、城昌幸『若さま侍捕物手帖』と並んで五大捕物帳と称される。

2016年までに映画作品が16作品、テレビドラマ8作品が制作されている。
引用元:人形佐七捕物帳 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E5%BD%A2%E4%BD%90%E4%B8%83%E6%8D%95%E7%89%A9%E5%B8%B3