【胚芽米の普及、女子栄養大学創設者】

日本における栄養学の普及に
尽力した女性医学博士で
料理で用いる軽量スプーンや
軽量カップを考案したのは?
瞳綾香純
村川島田
香川綾(答)
21%


弁当のおかずでおなじみの
「タコさんウインナー」を考案
した料理評論家は◯道子?
◯の漢字をひらがなで答えなさい
しょう(答)
「尚道子」
57%

連想
「大さじ」「小さじ」の普及
姉は料理評論家・尚道子
雑誌『栄養と料理』の元編集長
「おいしゅうございます」
岸朝子(答)
引用元:「尚道子」タコさんウインナー、岸朝子の姉 | 【QMA復習】わかればいいのに https://seethefun.net/%e3%82%b9%e3%83%9d%e3%83%bc%e3%83%84/35605/



日本における「栄養学の父」と
呼ばれる明治生まれの医学博士
佐伯矩
さいきただす(答)
22%
引用元:さいきただす佐伯矩 | 【QMA復習】わかればいいのに https://seethefun.net/%e7%90%86%e7%b3%bb%e5%ad%a6%e5%95%8f/38777/

「すべての人が健康で、そして幸せであるように」
 ある女性のそんな思いから、私たちの女子栄養大学は生まれました。
 その人の名は香川綾。女子栄養大学の創設者であり、日本の現代栄養学の礎を築いた「栄養学の母」ともいえる女性です。
 香川綾が残した業績は多岐にわたります。その中から、みなさんもよく知っているものをあげれば、たとえば、計量カップと計量スプーンがそうです。意外でしたか?
 明治や大正の時代には、料理は誰にでも作れるものではありませんでした。しょうゆや塩の加減は「料理人の勘」、火を通す時間は「料理人の経験」、さらに味の決め手は「隠し味」や「愛情」でと、すべてがこの調子。現代のレシピでは当たり前の「塩小さじ2分の1」や「煮込み時間20分」といった表現はなく、「ほどほどに」や「火が通ったら」などの表現が使われていました。これでは料理の初心者が、経験豊富な料理人と同じような、おいしくて健康的な料理を作るのは無理な話です。
 それを、素材や調味料を計って数量化し、料理の手順をわかりやすく文章にして、誰もができるようなレシピを初めて作りあげたのが香川綾だったのです。計量カップと計量スプーンはそのために必要な道具だったのです。
 でも、それは彼女の業績のほんの一部に過ぎません。
 明治生まれの綾の世代では、栄養学の重要性はほとんど認識されていませんでした。そのために、脚気をはじめとした栄養のアンバランスや無知から生じる病気が、多くの日本人を苦しめていました。
 そんな時代に青春時代をおくった綾は、女性が外で働くことすら珍しかった当時に女性医学者として栄養学の研究に没頭し、戦後は栄養学部がある大学の創立に情熱を傾けたのでした。
 道のりはなまやさしいものではありませんでした。でも、綾にはそれをやり遂げるだけの信念がありました。「すべての人を健康に。そのためには栄養学を普及しなければ」という、強い信念が……。
 その情熱はいったいどこから生まれたのでしょうか? 日本人の健康のために生涯を捧げた綾の人生を、これから振り返ってみましょう。

「栄養学と私の半生記」に綾はこう書いています。「私は、誰にでもおいしい料理が作られるようにと、調理の計量化を考案しましたが、だからと言って両技術がすべてだと思っているわけではありません。ただ機械的に量だけ計って作ってみても、献立作りから食事の時の雰囲気まで、あらゆる過程に心が行き届いていなければ、おいしい料理も健康づくりもできるものではありません。そこに食生活の難しさやたいせつさがあります」。
引用元:aya_story http://www.eiyo.ac.jp/yume/aya/e_book/

香川 綾(かがわ あや、1899年3月28日 – 1997年4月2日)は、香川栄養学園の創始者。医学博士。日本における栄養学の普及に多大なる功績を残した。

1930年、同じ研究室でビタミンの研究などを行なっていた香川昇三と結婚。1933年、香川栄養学園の前身の家庭食養研究会を夫とともに設立し、1937年に女子栄養学園に改称。1945年7月17日、戦争の疎開先で昇三と死別。この時期に栄養学に一生を捧げる決意を固める。

1949年「本邦食品のビタミンB1と脚気の研究」によって東京大学より医学博士の学位を受ける。同年香川栄養学園設立。1950年、女子栄養短大創立。1961年、女子栄養大学を創設し、学長に就任。1965年、同大学に栄養学部を創設し、管理栄養士資格の創設に貢献。1969年、大学院栄養学研究科修士課程を設置。

1962年、藍綬褒章、1972年、勲二等瑞宝章を受章。1991年、文部省(現:文部科学省)より文化功労者の顕彰を受ける。

1997年4月2日午前9時25分、母校東京女子医科大学で98年の生涯を閉じる。叙・正四位、贈・銀杯一組。

主な功績[編集]
胚芽米の普及[編集]
昭和初期に夫昇三と共にビタミンに関する研究をした。その成果として、胚芽米にビタミンB1が多く含まれることを証明した。当時はビタミンB1の不足による脚気が慢性的に広まっていたこともあり、胚芽米を普及させてこれを予防することを提唱した。同時に、米を縦に回転して精米することにより胚芽を残して精米する方法を発明した。

計量カップと計量スプーン[編集]
栄養のバランスをとるために4群点数法で食事を定量化する試みは成功したが、塩分摂取量などに関しては調味料の使用量が大きく影響するため、調味料を定量化して考える必要性が高かった。

香川は家庭料理で使われる調味料の量を研究し、15cc、10cc、5ccの3種類のスプーンを用意しておけば家庭内でも調味料の使用量が判りやすいことを発見した(計量スプーン)。また同時に、200ccのカップの内側に50cc毎のメモリをつけた計量カップも考案した。実際には、明治時代に日本初の料理学校を開設した赤堀峰吉が同様のものを既に考案していたとの記録もあるが、香川は独自に考案したものであり、また、一般家庭に計量スプーン・計量カップが普及することになったのも香川の活動によるものである。

これらの発明により、塩分などの摂取量をコントロールしやすくなったばかりでなく、「味付けの定量化」を図ることが可能となり、雑誌やテレビなどで料理の製法を伝えやすくなった。このことは日本人の食文化を多彩にすることに大きく役に立っていると言えよう。
引用元:香川綾 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%99%E5%B7%9D%E7%B6%BE