『習って覚えて真似して捨てる』

1985年の「新語・流行語大賞」の
新語部門・銅賞を「NTT」で
受賞した、当時のNTT社長は?
杉浦喬也

住田正二
真藤恒(答)
秋草篤二
59%



次の人物を
日本電信電話公社の
総裁を務めた順に選びなさい
梶井剛
大橋八郎
米沢滋
秋草篤二
真藤恒
32%
引用元:【過大コメ飽きし】 | 【QMA復習】わかればいいのに https://seethefun.net/%e7%a4%be%e4%bc%9a/44572/

NTT
真藤 恒 さん(日本電信電話〔株〕社長)
1984(昭和59)年12月20日に電電改革三法が成立し、日本電信電話公社は民営化され、NTT(日本電信電話株式会社)として再スタートした。NTTという名は新社名発表からわずか数カ月、驚異的な早さで認知された。
引用元:「現代用語の基礎知識」選 ユーキャン 新語・流行語大賞 https://www.jiyu.co.jp/singo/index.php?eid=00002

真藤恒  
「ドクター合理化」の異名をとったNTT初代社長、死去
2003/01
イミダス編
シントウ・ヒサシ。日本電信電話初代社長。
1月26日、石川島播磨重工業の元社長で、NTTの初代社長を務めた真藤恒さんが、肺炎のため死去。92歳。
1910年、福岡県生まれ。九州帝国大学卒業後、播磨造船所に入社。戦後、NBC呉造船所に移籍。60年、合併により石川島播磨重工業が誕生すると造船部門の最高責任者となり、72年には社長に就任。船の標準設計方式を取り入れコスト削減を図ったことで「ドクター合理化」と異名をとった。相談役に退いた後、81年に「ミスター合理化」と呼ばれた同社出身の故・土光敏夫経団連名誉会長に請われ、民間出身者としてはじめて日本電信電話公社総裁に就任。同公社民営化に手腕を振るい、85年4月のNTT発足で初代社長に就任、88年会長に退くも、未公開株の譲渡をめぐるリクルート事件に関与し引責辞任。89年にNTT法違反容疑で逮捕。翌年、有罪判決を受け、控訴せず公職から身を引いた。著書に「造船生産技術の発展と私」「習って覚えて真似して捨てる」「NTTを創る」などがある。
引用元:真藤恒 「ドクター合理化」の異名をとったNTT初代社長、死去 | 時事用語事典 | 情報・知識&オピニオン imidas – イミダス https://imidas.jp/hotkeyperson/detail/P-00-206-03-02.html

真藤氏は電電公社最終代総裁、NTT初代社長を務めた人物。電電公社の民営化に際しては社内改革を進め、ドクター合理化の異名を取った。
 1910年、福岡県久留米市生まれ。1934年、九州帝国大学工学部造船学科を卒業後、播磨造船所(現・IHI)に入社。戦後、アメリカ流の造船技術を学び、独創的な船を次々と作った。オーナーごとに仕様を決めてつくるオーダーメイドが当たり前の時代に、あらかじめ主要スペックを決めておくセミオーダーメイドの標準船を開発したり、ずんぐりとした形の大型タンカーを開発。40万トンを超える超大型タンカーは独創性に富んでいて、「真藤船型」と呼ばれたほどだった。
 1972年に同社の社長に就任したが、おり悪く造船不況の真っ直中。やむなく大規模な人員削減を実施し、1979年、その責任を取って社長を辞任した。その後、同社の先輩であり経団連名誉会長の土光俊夫に請われて、電電公社総裁に。民営化を推進して、1985年日本電信電話会社初代社長に就任した。しかし、リクルート事件で逮捕、有罪判決を受け、すべての公職を退いた。
 掲出のほかに「電電公社が民営化されて日本電信電話(NTT)となったとき、公社時代から口を酸っぱくして意識の改革を職員に言い続けた」とも話している。
 業界用語や社内用語は仲間内で使う分には便利だ。しかし、それで事足りているとすれば──、外部からの情報や刺激が入っていないのかも。組織としては危険な状態であり、意識改革が必要といえる。リーダーが率先して業界用語、社内用語を連発していたなどということのないようにしたいものだ。
引用元:「電電語で話すな。日本語で話せ。」NTT 初代社長・元会長 真藤恒 | 経営全般 | 経営プロ https://keiei.proweb.jp/column/remark/1/842/1069/