【新喜楽1階で選考会】

次のうち、現在、芥川賞の
選考委員を務めている
女流作家を全て選びなさい
宮部みゆき
林真理子
高樹のぶ子(答)
小川洋子(答)
川上弘美(答)
山田詠美(答)
平岩弓枝
30%

芥川龍之介賞(あくたがわりゅうのすけしょう)、通称芥川賞は、純文学の新人に与えられる文学賞である。文藝春秋社内の日本文学振興会によって選考が行われ、賞が授与される。

概要[編集]
大正時代を代表する小説家の一人・芥川龍之介の業績を記念して、友人であった菊池寛が1935年に直木三十五賞(直木賞)とともに創設し以降年2回発表される。第二次世界大戦中の1945年から一時中断したが1949年に復活した。新人作家による発表済みの短編・中編作品が対象となり、選考委員の合議によって受賞作が決定される。受賞者には、正賞として懐中時計、副賞として100万円が授与され、受賞作は『文藝春秋』に掲載される[1]。

選考委員は、小川洋子・奥泉光・川上弘美・島田雅彦・高樹のぶ子・堀江敏幸・宮本輝・山田詠美・吉田修一の9名(2018年上半期から)。選考会は、料亭『新喜楽』の1階で行われる(直木賞選考会は2階)。受賞者の記者会見と、その翌月の授賞式は、長く東京會舘で行われていたが、同館の建て替えに伴い、現在は帝国ホテルで行われている。
引用元:芥川龍之介賞 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%A5%E5%B7%9D%E9%BE%8D%E4%B9%8B%E4%BB%8B%E8%B3%9E

新喜楽(しんきらく)は、東京都中央区築地4丁目に所在する料亭[注 1]。「日本三大料亭」および「日本二大料理屋」の一つに数えられている[6][7][8][注 2]。

歴史[編集]
1875年(明治8年)、伊藤きんが日本橋茅場町に「喜楽」の屋号で創業[8]。その後、1898年(明治31年)に、当時大隈重信邸跡地だった現在地に店舗を移転、屋号を「新喜楽」に改める[10]。

1917年(大正6年)、伊藤から女将の座を譲受した木村さくが2代目女将となる[10][11]。その10年後の1923年(大正12年)、関東大震災に見舞われ建物を焼失。震災後に店は再建されたが、1940年(昭和15年)以降、この再建された店舗建物をベースにして建築家・吉田五十八が設計・改修を重ねていき、現在の店舗の姿を形作った[10][12]。

木村さくが2代目女将となって以降、現在に至るまで、木村の親族が女将、料理などの肩書きを引き継いできている[10]。

特徴[編集]
店舗建物自体は銅葺き木造2階建ての新興数寄屋建築。72畳の大広間などを有し、庭には伊藤博文から贈られた漢詩が刻み込まれた石碑が置かれている[2][6]。

店の初志として「支店を出さない」、「宣伝をしない」、「毎日が開店日(初心忘るべからず)」、「無言のおもてなし」を掲げている。また、口の堅さでも定評があり、政財界人や文化人の利用が多い[11][13]。

芥川賞・直木賞両選考会の会場として[編集]
当料亭は芥川賞・直木賞の両選考会の会場として使用されることでも知られている。例年、1階で芥川賞の選考会が、2階で直木賞の選考会が、それぞれ開かれている[8][13]。

当初、芥川賞・直木賞の両選考会は別の料亭で開かれていた模様であるが、1955年(昭和30年)頃から習慣的に当料亭が会場として使用されるようになり、1961年(昭和36年)以降は全て当料亭内で開かれるようになった。この理由として、先に記した「口の堅さで定評のある」点が好感されたことも指摘されているが、当料亭が選考会会場として使われ始めた頃に、両賞を主催する日本文学振興会の事務局を擁する文藝春秋が同じく銀座界隈に本社を構えていたことから[注 4]、その文藝春秋が仕事の上で当料亭を利用していたからでは、という旨の同振興会事務局長による話も伝えられている[8][13]。
引用元:新喜楽 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%96%9C%E6%A5%BD