【19780401】ヤクルト×広島

作家の村上春樹がプロ野球の
試合を観戦中に処女小説
『風の歌を聴け』の構想を
思いついた野球場は?
後楽園球場

大阪球場
神宮球場(答)
広島市民球場
46%

003xmeBGyy
次のうち、村上春樹が
翻訳して出版した海外の小説を
1つ選びなさい
大聖堂(答)レイモンド・カーヴァー
ライ麦畑でつかまえて
大いなる眠り
世界のすべての七月(答)ティム・オブライエン
ゲド戦記
グレート・ギャツビー(答)フィッツジェラルド
ラスト・タイクーン
ガープの世界
キャッチャー・イン・ザ・ライ(答)サリンジャー
引用元:村上春樹の翻訳『大聖堂』『世界のすべての七月』『グレート・ギャツビー』 | 【QMA復習】わかればいいのに https://seethefun.net/%e3%83%a9%e3%82%a4%e3%83%95%e3%82%b9%e3%82%bf%e3%82%a4%e3%83%ab/23326/

《この日寿司屋に入る前に、彼はもう一つの啓示のことを話してくれた。それは彼が作家になるきっかけとなった啓示だった。(中略)「僕は作家になるんだ」と悟って体がふるえた時のことを村上はありありと思い出す。早春の午後の東京だった。日差しは優しく、そよ風が吹き、焼きイカの臭いがしていた。そして、野球ファンの応援の声がしていた。
一九七八年四月、村上は二十九歳だった。彼は神宮球場の外野席に座って、ヤクルト・スワローズと広島カープの試合を観戦していた。アメリカ人で―ヴ・ヒルトンの来日初打席だった。彼は二塁打を打った。その瞬間村上は、僕は小説を書けると悟った。なぜだかはいまだに分からない。ただ悟ったのだ。
その当時、彼は妻の陽子と一緒に東京でジャズバーを経営していた。バーの名は「ピーターキャット」。毎晩店を閉めたあと、村上は台所のテーブルに向かって一時間か二時間書いていた。》(イアン・ブルマ、石井信平訳『イアン・ブルマの日本探訪』)
引用元:デニム中毒者のたわごと:村上春樹を歩く その24 http://tsfc501.blog66.fc2.com/blog-entry-2567.html

村上 春樹(むらかみ はるき、1949年1月12日 – )は、日本の小説家、文学翻訳家。京都府京都市伏見区に生まれ、兵庫県西宮市・芦屋市に育つ。

早稲田大学在学中に喫茶を開く。1979年、『風の歌を聴け』で群像新人文学賞を受賞しデビュー。1987年発表の『ノルウェイの森』は2009年時点で上下巻1000万部を売るベストセラーとなり[2]、これをきっかけに村上春樹ブームが起きる。その他の主な作品に『羊をめぐる冒険』、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』、『ねじまき鳥クロニクル』、『海辺のカフカ』、『1Q84』などがある。

日本国外でも人気が高く、柴田元幸は村上を現代アメリカでも大きな影響力をもつ作家の一人と評している[3]。2006年、フランツ・カフカ賞をアジア圏で初めて受賞し[4]、以後日本の作家の中でノーベル文学賞の最有力候補と見なされている[注 1]。

精力的に、フィッツジェラルドやチャンドラー作品など翻訳。また、随筆・紀行文・ノンフィクション等も多く出版している。後述するが、ビートルズやウィルコといった音楽を愛聴し自身の作品にモチーフとして取り入れるなどしている。

デビュー、人気作家となる
1978年4月1日、明治神宮野球場でプロ野球開幕戦、ヤクルト×広島を外野席の芝生に寝そべり、ビールを飲みながら観戦中に小説を書くことを思い立つ[21]。それは1回裏、ヤクルトの先頭打者のデイブ・ヒルトンが左中間に二塁打を打った瞬間のことだったという[21][22][23]。
引用元:村上春樹 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%91%E4%B8%8A%E6%98%A5%E6%A8%B9