「五所川原市」十三湖、エルムの街


十三湖
福島城
エルムの街
斜陽館
五所川原市(答)
三沢市
青森市
むつ市
47%


毎年1月、青森県五所川原市で
世界選手権が開かれる
トランプゲームは?
ゴニンカン(答)
ナポレオン
ハーツ
ピノクル


青森県五所川原市で世界選手権が
開かれるトランプゲーム
ゴニンカン(答)
51%


1970年代に世間を騒がせた
古文書は『◯◯◯外三郡誌』?
東日流
つがる(答)
『東日流外三郡誌』

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青森県で和田喜八郎が自宅から発見したことになっている古代の東北地方について書かれた有名な偽書といえば?
東日流外三郡誌(答)

十三湖(じゅうさんこ)は、青森県津軽半島北西部の日本海岸にある汽水湖である。地元津軽地区では「十三潟(じゅうさんがた)」とも呼ばれる。

>津軽国定公園内に位置しており、周辺自治体は五所川原市(旧市浦村)、北津軽郡中泊町(旧中里町)、つがる市(旧車力村)である。周囲約30キロメートル、水深は最大3.0メートルに過ぎず、南方より岩木川が流入する。この川が日本海に向かう途中、砂州によって塞き止められ汽水湖となった。独特の荒涼とした風景に囲まれている。
特産物はシジミであり、宍道湖、小川原湖と並ぶ日本有数のシジミ産地である。シジミ漁については十三漁業協同組合、車力漁業協同組合がある。資源保護のために1日の漁獲制限や禁漁区禁漁期間を決めるなどしてヤマトシジミの資源維持につとめている。 ジョレンを船で引っ張って採る。
引用元:十三湖 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E4%B8%89%E6%B9%96

福島城(ふくしまじょう)は、青森県五所川原市相内にあった日本の城である。平城。

>歴史[編集]
平安時代後期の10世紀後半に築かれたとみられる。10世紀後半から11世紀までの土師器が城域から出土するが、これは北緯40度以北の東北地方北部が中央政権の影響下から離れて北海道で9世紀に始まった擦文文化圏に合流していた時期にあたる。同時代に東北地方北部から北海道渡島半島南部にかけて住居群を堀で囲む防御性集落が盛んに造られていることから、福島城は擦文文化人が何らかの軍事上の情勢に対応して築いた城であると考えられる。
内郭は室町時代前期の14世紀後半から15世紀前半に築かれた可能性が高い。福島城から南西3キロメートルの位置にある十三湊が最も栄えた時期にあたる。
「十三湊新城記[1]」に記された、安倍(安藤)貞季が正和年間(1312年-1317年)に築いたとする新城を福島城にあてる見解がある。ただし、2005年(平成17年)から2009年(平成19年)に行われた青森県の発掘調査で当城跡の内郭南東部より中世の武家屋敷が発見されており、安藤(安東)氏の居城であった可能性が高まっている[2]。
引用元:福島城 (陸奥国鼻和郡) – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E5%B3%B6%E5%9F%8E_(%E9%99%B8%E5%A5%A5%E5%9B%BD%E9%BC%BB%E5%92%8C%E9%83%A1)

エルムの街(エルムのまち)は、青森県五所川原市にある、複合型大型ショッピングセンター。キーテナントはイトーヨーカドー五所川原店。地域住民からは「エルム」と言われている。

名前の由来[編集]
「エルム」とは、五所川原市の市木「ハルニレ」の英語名である。
引用元:エルムの街 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%A0%E3%81%AE%E8%A1%97

太宰治記念館 「斜陽館」(だざいおさむきねんかん「しゃようかん」)は、青森県五所川原市にある小説家太宰治の生家。現在は、五所川原市太宰治記念館「斜陽館」として、五所川原市立の施設となっている[1]。また、近代和風住宅の代表例として2004年(平成16年)国の重要文化財に指定されている。

>その後旅館の経営が悪化し経営者が手放す旨を発表した。これに対して、1996年(平成8年)金木町(当時)は経営者から斜陽館を買い取り、町営の文学記念館として再出発することになった。こうして1998年(平成10年)、名称が現在の《太宰治記念館 「斜陽館」》と改められて改装オープンした。新しく改装された斜陽館では従来のような宿泊は出来なくなったものの太宰の文学資料、また昭和初期の大地主であった津島家の貴重な資料を展示する資料館として多くの観光客、太宰ファンが訪れている。
引用元:太宰治記念館 「斜陽館」 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E5%AE%B0%E6%B2%BB%E8%A8%98%E5%BF%B5%E9%A4%A8_%E3%80%8C%E6%96%9C%E9%99%BD%E9%A4%A8%E3%80%8D

ゴニンカンは、「関係」グループの2人と「無関係」グループの3人とが絵札を取り合うトランプゲーム。トリックテイキングゲームの一種である。

概要[編集]
ハーツのように、切り札(記号)を決め、一人ずつ出していって、一巡した時点で最も強いカードを出した人がカードを得る。それをくり返して、関係グループが、何枚絵札を取れるかで勝敗が決まる。ポルトガルとの南蛮貿易で日本に入ってきたカルタの時代からあるといわれ、江戸時代の間の禁止令は辺境の津軽藩では徹底されず、今の青森県津軽地方で根強く残り、ゴニンカン賭博は農閑期の娯楽として親しまれた。最近ではファンも増え、毎年1月には五所川原市で世界大会が行なわれている。一般には「津軽トランプ」の通称で知られており、古くから芸人たちに愛され、また賭けの対象となることもあったらしい。
用語には津軽地方またはこのゲーム独特の言葉が使われており(例:「踊る」…ジョーカーを出す事。「付ける」…味方に札を取らせるためにわざと弱い絵札を出す事。「切る」…役札(=通常のトリックテイキングゲームで言うところの切り札)を出して絵札を取得する権利を奪う事。など:後述)、また何戦もするうちに配り役を含む6人の間でグループの組み合わせが一巡するよう定められていて最終的には各個人がポイントした点数で総合順位が決まるなど、ルールは他のトリックテイキングゲームと比べても複雑で奥が深い。
引用元:ゴニンカン – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B4%E3%83%8B%E3%83%B3%E3%82%AB%E3%83%B3

『東日流外三郡誌』(つがるそとさんぐんし)は、古史古伝の一つで、古代における日本の東北地方の知られざる歴史が書かれているとされていた、いわゆる和田家文書を代表する文献。ただし、学界では偽作説が確実視されており、単に偽作であるだけでなく、古文書学で定義される古文書の様式を持っていないという点でも厳密には古文書と言い難いと言われている。しかし関係者の間では「古文書」という呼び方が定着しているため、本項目もそれに従うことにする。

内容[編集]
『東日流外三郡誌』は、青森県五所川原市在住の和田喜八郎が、自宅を改築中に「天井裏から落ちてきた」古文書として1970年代に登場した。編者は秋田孝季と和田長三郎吉次(喜八郎の祖先と称される人物)とされ、数百冊にのぼるとされるその膨大な文書は、古代の津軽地方には大和朝廷から弾圧された民族の文明が栄えていたと主張する。
アラハバキを「荒羽吐」または「荒覇吐」と書き、遮光器土偶の絵を載せ、アラハバキのビジュアルイメージは遮光器土偶である、という印象を広めたのも、本書が「震源」である。

真偽論争[編集]
『東日流外三郡誌』(およびその他の和田家文書)については、考古学的調査との矛盾(実際の十三湊の発掘調査では津波の痕跡は確認されておらず、また十三湊の最盛期は津波が襲ったとされる時期以降であったらしい)、「古文書」でありながら、近代の学術用語である「光年」(そもそも光速が有限であることが証明されたのは17世紀後半である)や「冥王星」「準星」など20世紀に入ってからの天文学用語が登場する[3] など、文書中にあらわれる言葉遣いの新しさ、発見状況の不自然さ(和田家建物は1941年(昭和16年)建造の家屋であり、古文書が天井裏に隠れているはずはない)、古文書の筆跡が和田喜八郎のものと完全に一致する、編者の履歴に矛盾がある[4]、他人の論文を盗用した内容が含まれている、等の証拠により、偽書ではないかという指摘がなされた。これに対し、真書であると主張する者もおり、偽書派・真書派間で対立した。特に、偽書派の安本美典と真書派の古田武彦との間では、雑誌・テレビ・論文雑誌等で論争が行われた[3]。
しかし、原田実が真書派から偽書派へと転向するなど、偽書であるという説のほうが有力であった。一番の問題は、和田喜八郎が公開した資料は、あくまで喜八郎の祖父である末吉による写本(と喜八郎が主張したもの)であり、肝心の「原本」の公開を拒んでいたことであった。
1999年(平成11年)に和田喜八郎が死去した後、和田家は偽書派により綿密に調査がなされた。この結果、天井裏に古文書を隠すスペースなど確かに存在せず(後日公開された和田家内部写真[5] によれば、膨大な文書を収納できるようなスペースはなかった)、建物内には原本がどこからも発見されなかった上、逆に紙を古紙に偽装する薬剤として使われたと思われる液体(尿を長期間保管したもの)が発見され、偽書であることはほぼ疑いがないという結論になった。青森県教育庁編『十三湊遺跡発掘調査報告書』[6] には、「なお、一時公的な報告書や論文などでも引用されることがあった『東日流外三郡誌』については、捏造された偽書であるという評価が既に定着している」と記載されるなど、現在では公的団体も偽書であることを公表している。
引用元:東日流外三郡誌 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%97%A5%E6%B5%81%E5%A4%96%E4%B8%89%E9%83%A1%E8%AA%8C

読み応えあり。

東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)は、青森県五所川原市の和田喜八郎氏が自宅の屋根裏からでてきたといって1950年ごろから発表をはじめた古文書群。そこには古代の津軽に大和政権に匹敵するような王朝が栄えていたという歴史が記録されていた。考古学的に矛盾も多く、当初から偽書の疑いもあったが、村が『市浦村史 資料編』として70年代に公式刊行物として出版してしまったことで、お墨付きをえた形となった。さらに中央の学会では無視されていたが、歴史学の古田武彦教授ら有力な擁護派が幾人も登場して本物として紹介して知名度は全国区となった。地元住民も出自の怪しい和田氏に対して、半信半疑でありながら、村興しのネタとして積極的に活用していった。

地元紙「東奥日報」の記者だった著者は、この資料をめぐる小さな訴訟事件の記事を書いたことをきっかけにして、これが偽書ではないかと疑問を持つ。取材を重ねるとすぐに疑念は確信に変わった。東日流外三郡誌は、偽書としてはひどく杜撰なつくりだったのだ。明らかに和田氏の書いた筆跡(しかも筆ペン)や、現代人しか持ちえない知識や福沢諭吉の引用(天は人の上に人を作らず)など、矛盾に満ちていた。実物は「いずれ公開する」といって、写本しか公開されていないという不可解な事実もあった。

和田氏周辺を調べると、半世紀に及ぶ資料捏造の実態が明らかになった。和田氏の捏造に乗っかったり、乗せらてたりして、自治体や住民たちは、神社を建立し、ご神体を祀り、新たな祭りまで創設した。中央権力に対して、まつろわぬ祖先がいたという東日流外三郡誌の物語は、かつて蝦夷地と呼ばれた東北の人々のロマンをかきたてたのだ。
引用元:偽書「東日流外三郡誌」事件 – 情報考学 Passion For The Future http://www.ringolab.com/note/daiya/2011/02/post-1386.html


偽書「東日流外三郡誌」事件

著者: 斉藤光政
定価: 823円(税込み)
発売日:2009年12月07日
青森に端を発し古代史を震撼させた「東日流三郡史」の真贋論争。偽書を生んだ考古学・メディアの闇に迫り、論争に決着をつけた問題作。
引用元:偽書「東日流外三郡誌」事件: 本|カドカワストア|オリジナル特典,本,関連グッズ,Blu-Ray/DVD/CD|KADOKAWA公式オンラインショップ http://store.kadokawa.co.jp/shop/g/g201216008561/