衛藤「バタラ」mixi


SNSの「mixi」を発案し
「mixiの生みの親」と呼ばれる
インドネシア出身のエンジニアは
衛藤◯◯◯?
タアベバ
リジラト
バタラ(答)
「衛藤バタラ」
37%

衛藤バタラ(えとう バタラ、1979年7月27日 – )は、インドネシア北スマトラ州メダン出身の実業家。イーストベンチャーズ株式会社代表取締役。元ミクシィ取締役兼最高技術責任者。

1979年にインドネシア北スマトラ州メダンに生まれる。日本の拓殖大学工学部に留学中、1999年からインターンとしてイー・マーキュリー(現ミクシィ)に入り、転職情報サイトFind Job!の開発運営に携わる。
2004年に拓殖大学を卒業後も日本に留まり、イー・マーキュリーに正式に入社。ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)の開発を提案し、2006年に最高技術責任者(CTO)に就任。中心人物としてmixiの開発を企画し、mixiを日本最大のSNSへと成長させた。
引用元:衛藤バタラ – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%9B%E8%97%A4%E3%83%90%E3%82%BF%E3%83%A9

SNS「mixi」を発案した衛藤バタラさん(29)は、当初、mixiの技術面をすべて1人で担当していた。プログラミングもデータセンターとの契約もサーバ調達・運用も、1人でこなしたという。

 mixiが成長するにつれて人員も増え、05年、CTOに就任。全社の技術を統括していたが、「自分が作りたいものを企画して、自分の手で作りたい」という思いが募り、07年末にミクシィを辞めた。

 08年2月、自己資金5000万円で新会社「えとらぼ」を設立。「技術のためのサービスではなく、生活を便利にするために、技術をいかしたい」と意気込む。

mixi誕生 「毎日サーバが足りなくなった」

 03年ごろから米国でSNSが流行し始め、面白さに引かれていた。Find Job!に人を集める手段としても魅力的と感じ、笠原健治社長に相談。ゴーサインをもらった。笠原社長やデザイナーと協力しながら、技術面は1人で担当した。

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2004年当時のmixiの画面
 mixiはオープン直後から急成長し、「今日サイトが重かったら、翌日はもっと重くなる」という状態。大規模サイトをゼロから構築、運用したのは初めてで、「毎日サーバが足りなくなった」と振り返る。

 「使っていたデルのサーバは、注文してから届くまでに時間がかかってしまう。足りなくなったらすぐに増設するために、アキバに行ってサーバを買い、データセンターに持って行く、ということを繰り返していた。スケーラビリティが大変だった」

 サービスが拡大するにつれ人員も増え、技術者も増員。mixiの構築や運営に直接関わる機会は減っていった。05年、CTOに就任し、全社の技術者をマネージメントしたり、意見を言う立場に変わった。

とはいえまだ20代。「自ら企画し、自分が欲しい物を自分の手で作りたい」という思いは強くなっていき、07年末、ミクシィを退社した。
引用元:「技術で生活を便利に」 mixiの生みの親・バタラさんが次に作るもの – ITmedia NEWS http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0907/23/news046.html