岩合(いわごう)光昭『スノーモンキー』『おきて』動物写真家


動物写真家
『スノーモンキー』
『おきて』
『ニッポンの犬』
星野道夫
岩合光昭(答)いわごうみつあき
やきそばかおる
山口進
49%

順番当て
次の写真家を「写真界の芥川賞」といわれる木村伊兵衛写真賞を受賞した順に選びなさい
北井一夫
平良孝七
藤原新也
岩合光昭
田原桂一
中村征夫
星野道夫
都築響一

岩合 光昭(いわごう みつあき、1950年11月27日 – )は、日本の動物写真家。
>東京都出身。法政大学第二高校、法政大学経済学部卒業。同じく動物写真家であった父・岩合徳光の助手としてガラパゴス諸島を訪れた際に動物写真家を志し、猫などの身近な動物から世界各地の野生動物まで様々な題材を取り上げる[1]。。
1979年、アサヒグラフに連載された『海からの手紙』で第5回木村伊兵衛写真賞を受賞。1982年から1984年までアフリカ・タンザニアのセレンゲティ国立公園に滞在して撮影した写真集『おきて』は、英語版が15万部を超えるなど世界中でベストセラーとなった。また日本人の作品としては初めて『ナショナルジオグラフィック』誌の表紙を2度飾った。
引用元:岩合光昭 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A9%E5%90%88%E5%85%89%E6%98%AD

スノーモンキー
岩合光昭/著、岩合日出子/著
春にはヤマザクラの花を食(は)み、冬には雪と戯れ温泉でひと休み。時には争いもあるけれど、サルたちは毎日を力いっぱい生きている。長野県・地獄谷温泉に暮らすニホンザルたち、通称「スノーモンキー」の四季折々の生活を、動物写真の巨匠が三年の年月をかけて徹底的な観察のもと、詩情豊かに撮影したベスト・ショットの数々。
引用元:岩合光昭、岩合日出子 『スノーモンキー』 | 新潮社 http://www.shinchosha.co.jp/book/602128/

星野 道夫(ほしの みちお、1952年9月27日 – 1996年8月8日)は、写真家、探検家、詩人。千葉県市川市出身。
>1978年、アラスカ大学フェアバンクス校の入試を受けた。入試では、英語(英会話)の合格点には30点足りなかったが、学長に直談判して野生動物管理学部に入学した。その後、アラスカを中心にカリブーやグリズリーなど野生の動植物や、そこで生活する人々の魅力的な写真を撮影した。しかしアラスカ大学の方は結局中退してしまう。1989年には『Alaska 極北・生命の地図』で第15回木村伊兵衛写真賞を受賞する。1993年、萩谷直子と結婚する。翌1994年、長男・翔馬が誕生する。
1996年8月8日の深夜4時頃、TBSテレビ番組『どうぶつ奇想天外!』取材のため滞在していたロシアのカムチャツカ半島南部のクリル湖畔に設営したテントでヒグマの襲撃に遭い、死去した。43歳没。この事故については、星野の友人たちやクマを専門とする研究者によって検証が行われ、地元テレビ局のオーナーが餌付けしていた個体であったことが明らかにされた[1]。なお、昼間にテントの入り口から入ろうとするヒグマの写真が星野道夫が最期に撮影したものとして出回っているが、襲撃は深夜4時頃のことであり偽物である。
引用元:星野道夫 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%9F%E9%87%8E%E9%81%93%E5%A4%AB

やきそばかおるは、山口県山陽小野田市出身のライター・構成作家・動物写真家・動物園愛好家。
肩書きは、作家・動物写真家・ライター、昭和歌謡番組手書きタイトル研究家、フリーペーパーブランド「フリフリ」主宰、キュレーターなど、多岐にわたる。
>芸能活動[編集]
ライター・作家業の仕事の傍ら、全国の動物園をまわり、訪れた動物園は90か所を超える。
動物がカメラ目線をした瞬間を撮った写真を撮り続けており、「動物チラリズム」と呼んでいる。
雑誌「テレビブロス」で連載をもつ傍ら、特集記事も担当している。
引用元:やきそばかおる – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%84%E3%81%8D%E3%81%9D%E3%81%B0%E3%81%8B%E3%81%8A%E3%82%8B

山口 進(やまぐち すすむ、1948年 – )は、昆虫植物写真家、自然ジャーナリスト。自然科学写真家協会会員、日本鱗翅学会会員。
>大分大学経済学部[2][3]では数学を専攻し、卒業後は電機メーカーでシステムエンジニアをしていた[4]。百貨店の昆虫展で昆虫写真家の写真に感銘を受けてから、約1年後に退社。退職金で高級中判カメラを買って貨客船でニューギニアへ赴いて撮影。その帰国後に「アサヒグラフ」に持ち込んで発表した写真が評判を呼んだ[2]。1976年より昆虫植物写真家・自然ジャーナリストとして活動を開始した。
1978年にジャポニカ学習帳(ショウワノート)で「世界特写シリーズ」が開始。以来[5]、表紙写真の全てを撮影してきた[6]。この学習帳のために世界各地で撮り下ろし表紙を飾った写真は、2014年時点で計1200枚以上にわたる[7][8]。写真には「自然を大切にしよう」というメッセージも込められているという[7]。
引用元:山口進 (写真家) – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%8F%A3%E9%80%B2_(%E5%86%99%E7%9C%9F%E5%AE%B6)