朝井まかて『恋歌』直木賞受賞


『恋歌』で本屋が選ぶ時代小説
大賞2013を、『恋歌』で
第150回直木賞を受賞した
女性作家は朝井◯◯◯?
かちどの
さてまん
まかて(答)
「朝井まかて」
23%

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1864年
水戸藩
武田耕雲斎や藤田小四郎
筑波山事件
天誅組の変
八月十八日の政変
天狗党の乱(答)
生野の変
引用元:「生野の変」尊王攘夷派平野国臣が但馬国生野で挙兵 「八月十八日の政変」京都から尊王攘夷派を追放したクーデター 「天狗党の乱」藤田小四郎「筑波山事件」 http://seethefun.net/%e6%96%87%e7%b3%bb%e5%ad%a6%e5%95%8f/11974/

朝井 まかて(あさい まかて、1959年 – )は、日本の小説家。女性。大阪府羽曳野市生まれ。甲南女子大学文学部国文学科卒業[1]。ペンネームは沖縄県出身の祖母・新里マカテの名に由来する[2]。
広告制作会社でコピーライターとして勤務した後に独立[3]。2006年より大阪文学学校で学ぶ。2008年、『実さえ花さえ』(応募時のタイトルは「実さえ花さえ、その葉さえ」)で小説現代長編新人賞奨励賞を受賞し小説家デビューする。
2013年、歌人・中島歌子の生涯を描いた『恋歌(れんか)』(講談社)で、本屋が選ぶ時代小説大賞2013を受賞。2014年、同作で第150回直木三十五賞を受賞。同年、井原西鶴を主人公とした『阿蘭陀西鶴』(講談社)で第31回織田作之助賞受賞。2016年、『眩』(新潮社)で第22回中山義秀文学賞を受賞。
引用元:朝井まかて – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E4%BA%95%E3%81%BE%E3%81%8B%E3%81%A6

── 受賞作『恋歌』の発想のきっかけは何でしょうか。

朝井 樋口一葉の師匠「中島歌子」は江戸の裕福な商家育ちですが水戸藩の志士に恋をして水戸に下り、幕末の動乱に巻き込まれてしまう。が、維新後、歌を修業して立派な歌塾を興した、そんなエピソードとの出会いが最初です。デビュー間もない頃、「小説現代」の「好きな幕末の志士」という企画に「中島歌子」の名を挙げて短い文章を書きました。それを読んだ担当編集者さんが彼女を主人公に小説を書きませんかと勧めてくれたんです。それから半年に一回くらいは思い出したように書きましょうよと言ってくれたのですが、私は大阪人なので水戸は心理的にもすごく遠い土地ですし、行ったこともなかったので、ずっと断っていました。しかし、一昨年にまた勧めてくださったので、「それならば」と初めて水戸の土を踏みました。歌子が捕らわれた牢屋敷跡や偕楽園など十箇所くらいを強行軍で回りました。そこで突出した文化度の高さなど様々に感じましたし、地元の方にとても良くして頂いたこともあり、去年の一月から執筆を始めました。膨大な資料を前にして、何を咀嚼して何を書かないか、という選択を迫られた題材でした。
引用元:2014年4月号掲載 著者との60分 『恋歌』の朝井まかてさん http://www1.e-hon.ne.jp/content/sp_0031_i2_201404.html


樋口一葉の師・中島歌子は、知られざる過去を抱えていた。幕末の江戸で商家の娘として育った歌子は、一途な恋を成就させ水戸の藩士に嫁ぐ。しかし、夫は尊王攘夷の急先鋒・天狗党の志士。やがて内乱が勃発すると、歌子ら妻子も逆賊として投獄される。幕末から明治へと駆け抜けた歌人を描く直木賞受賞作。
引用元:『恋歌』(朝井まかて):講談社文庫|講談社BOOK倶楽部 http://bookclub.kodansha.co.jp/product?isbn=9784062931915

中島 歌子(なかじま うたこ、1845年1月21日(弘化元年12月14日) – 1903年(明治36年)1月30日)は、日本の歌人。和歌と書を教える私塾「萩の舎」を主宰し、明治時代の上流・中級階級の子女を多く集め、成功した。歌人としてより、樋口一葉、三宅花圃の師匠として名を残している。
父が水戸の藤田東湖らと交際があったことから、10歳から15歳まで水戸藩支藩の府中松平家の奥に仕えた。18歳のとき、かねてより恋い慕っていた水戸藩士・林忠左衛門と結婚し、水戸五軒町の林家に嫁入りした。江戸の豪商の嫁入りは、当時の水戸で話題になった程であったという[3]。たが、1864年、天狗党の乱に加担した罪で夫が自害[1]。歌子も連座して2か月間投獄される[2]。
歌を水戸の国学者、林寰雄に学んでいたが、林が亡くなったため、1865年から加藤千浪に師事。明治に入ってから歌塾「萩の舎」を小石川の自宅で開く。兄弟子の伊東佑命を通して、御歌所の長・高崎正風と知り合ったこと、また、両親の実家が水戸藩、川越藩と付き合いがあったことから、上流・中流家庭の多くの子女を門弟に抱えることができ、大いに繁栄した[1]。
引用元:中島歌子 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%B3%B6%E6%AD%8C%E5%AD%90

中島歌子 なかじま-うたこ

1845*-1903 明治時代の歌人。
弘化(こうか)元年12月14日生まれ。江戸の人。水戸藩士林忠左衛門と結婚。元治(げんじ)元年天狗(てんぐ)党の乱にくわわった夫と死別。のち加藤千浪(ちなみ)にまなび,東京小石川で歌塾萩の舎をひらいた。門人に三宅花圃(かほ),樋口一葉らがいる。明治36年1月30日死去。60歳。歌日記に「秋の道しば」。
【格言など】よしさらは月もまつへし山桜はなの木かけに日はくれにけり(「萩のしつく」)
引用元:中島歌子(なかじま うたこ)とは – コトバンク https://kotobank.jp/word/%E4%B8%AD%E5%B3%B6%E6%AD%8C%E5%AD%90-17263