『月刊アスキー』 付録ゲーム『表参道アドベンチャー』 『森田将棋』森田和郎を輩出 休刊前は『ビジネスアスキー』

006kWReuTV
かつての4大マイコン誌の1つ
『表参道アドベンチャー』
森田和郎らを輩出
後にビジネス誌へ
「月刊アスキー」(答)
「I/O」
「RAM」
「月刊マイコン」


かつての4大マイコン誌の1つ
多部田俊雄らを輩出
広告が多いことで有名
電波新聞社が発行
「月刊マイコン」(答)

連想
懐かしのパソコン雑誌
ゲームプログラムを掲載
電波新聞社が発行
「ラジオの製作」から独立
「マイコンBASICマガジン」(答)

連想
懐かしのパソコン雑誌
アスキーから創刊
「バカチン市国」「ヤマログ」
「ファミコン通信」(答)

連想
懐かしのパソコン雑誌
ゲームプログラムを掲載
姉妹誌は「I/O」
工学社が発行
「PiO」(答)

『月刊ビジネスアスキー』(げっかんビジネスアスキー)は、アスキーのパソコン雑誌である。
創刊から2008年10月号までは『月刊アスキー』(げっかんアスキー)である。『月刊アスキー』の表紙の目立つロゴは「ASCII」「アスキー」「ascii」などと変化したが、図書館の書誌情報等では1977年の創刊から2008年の継続後誌『ビジネスアスキー』への移行まで、特に変更は無い[1]。移行直前のリニューアル後は別として、パーソナルコンピュータを幅広く扱う趣味性の強い内容であった(「ホビーとの訣別」を掲げて出発したのであるが)。
>008年9月24日に発売された2008年11月号より、誌名が『月刊ビジネスアスキー』に変更された(同年7月7日に発表)。表紙のロゴ表記もカタカナである。
2010年代[編集]
ビジネスアスキーとしても休刊
2010年1月23日、この日発売された3月号をもって『月刊ビジネスアスキー』休刊。
引用元:月刊ビジネスアスキー – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%88%E5%88%8A%E3%83%93%E3%82%B8%E3%83%8D%E3%82%B9%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC

森田 和郎(もりた かずろう、1955年 – 2012年7月27日[1])は、コンピューターゲームのプログラマ。代表作は『森田将棋』。
>この成功で1983年4月に埼玉医大に籍を置いたまま、株式会社ランダムハウスを設立し、代表取締役となる。この頃、エニックスの依頼で当時アーケードゲームで人気で自身も熱中した『ゼビウス』を目標にした『アルフォス』を半年で開発しており、同年6月にリリースした[2]。
オセロに続いて将棋なども思考ルーチンを開発し、2年間かけて1985年8月に『森田和郎の将棋』を発売[2]。初期のコンピュータ将棋の強豪(コンピュータ将棋選手権第1回~第6回の全てでベスト3入り、第2回では優勝)として知られる。ソースコードを示した詳細な解説書『思考ゲームプログラミング ― オセロゲームのアルゴリズムと作成法』(共著、 ISBN 4-87148-186-7 )を上梓するなど後進の教育もおこなった。瀧澤武信らは、アイデアをオープンにするという姿勢が後続のコンピュータ将棋開発者らに受け継がれたからこそ、プログラムが急速に進歩できたと述べている[8][9][10]。
引用元:森田和郎 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A3%AE%E7%94%B0%E5%92%8C%E9%83%8E

表参道アドベンチャー(おもてさんどうアドベンチャー)は、『月刊アスキー』1982年4月号綴じ込み付録である『年刊AhSKI!』2号に掲載されたアドベンチャーゲーム。アスキー誌初のアドベンチャーゲームで、国産アドベンチャーゲームの草分け的存在である。
>ストーリー
あなたはマイコン雑誌の編集者。ライバル誌の『月刊アスキー』の活動を妨害するため、編集部に侵入し、何らかの破壊工作を行うのが任務である。タイトルの「表参道」は、当時のアスキーのオフィスの所在地(東京都渋谷区)から。
引用元:表参道アドベンチャー – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%A8%E5%8F%82%E9%81%93%E3%82%A2%E3%83%89%E3%83%99%E3%83%B3%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC

『週刊アスキー』(しゅうかんアスキー、Weekly ASCII)は、KADOKAWA/アスキー・メディアワークス(旧・アスキー)が発行するパソコン雑誌。
>日本において、一般の書店で販売されるパソコン雑誌としては最初の、そして2010年現在、唯一の週刊誌である[1]。
1989年10月1日から1997年10月15日まで毎月1・15日発行していたアスキーのパソコン雑誌である『EYE-COM』(アイコン)を1997年11月20日に週刊化した際に誌名変更。号数も『EYE-COM』からの通巻で表示され[2]、『EYE-COM』時代から引き継がれている連載も多い。また、『日経PC21』など同業の他のパソコン雑誌と比較すると、秋葉系向けの記事の比率が高めとなっている。

『I/O』(アイオー)は、日本初のマイコン専門雑誌(後のパソコン雑誌)である。1976年[1]10月に、同年の11月号として日本マイクロコンピュータ連盟(いわゆる日コン連とは別団体で無関係)から創刊された。後に工学社の発行となる。
>CQ出版で『インターフェース』誌の編集をしていた星正明が「ホビー・エレクトロニクスの情報誌」というキャッチフレーズで創刊した。創刊号は、40ページで300円。編集人は、当時大学2年生だった西和彦で、西の紹介によって郡司明郎、塚本慶一郎。塚本の友人である吉崎武も創刊に参加して、西や塚本らが複数のペンネームを使い分けて記事を執筆した。出版責任者は星、編集長は西が担当した。創刊当初は毎月25日発売、後に毎月18日に発売になった。創刊号の発行部数は3,000部で、秋葉原の各店に頭を下げて置かせてもらったという。好調な売れ行きに、星はCQ出版を退社して、工学社を起業した。創刊当時の『I/O』は、日本マイクロコンピュータ連盟の発行だったが[3]、以後は工学社の発行となる。一方、西、塚本らは1977年5月に星と袂を分かってアスキー出版(後のアスキー、現:KADOKAWA)を創業し、6月にライバル誌となる『月刊アスキー』を創刊した[4][5][6][7]。
引用元:I/O (雑誌) – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/I/O_(%E9%9B%91%E8%AA%8C)

「RAM」(らむ)は、廣済堂により1978年2月から1984年9月まで刊行された、パソコン雑誌である(当時「マイコン雑誌」と呼んだ)。
日本のパソコン雑誌では最も早い時期に創刊され、1980年前後には『I/O』『月刊マイコン』『月刊アスキー』と並び「4大誌」と称された。
同誌の特徴としては他3誌と比べ、年少者向けにイラストを多用し平易な解説に比重を置いていた事が挙げられる。注目された記事の一つは、ワンボードマイコン「Λ-1」(らむだわん、RAMに引っ掛けたものと思われる)である。誌上でワンボードマイコンを自作して行こうという連載企画で、Λ-1を完成させた読者よりハードやソフトに関する投稿が行われた。
引用元:RAM (雑誌) – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/RAM_(%E9%9B%91%E8%AA%8C)

「月刊マイコン」は、電波新聞社により1977年10月から1995年4月まで発行された、パソコン雑誌である。
当時は今で言うパソコンを「マイコン」と呼んでいた。日本のマイコン雑誌の中では創刊時期が最も早いものの一つである。1980年前後、『I/O』『月刊アスキー』『RAM』とともに4大雑誌と呼ばれた。
その頃の本誌は4大誌の中で最も地味な存在だった上、広告が多くて分厚く持ち運び難かった。『I/O』の方が厚くなるのは次世代の話である。
特徴としては読者コーナー「マイコンポスト」の面白さが他誌に勝っていた点にある。このコーナーでは編集長、編一、編二、編三(関西弁でオチ担当)、マイコン博士がかけあい漫才形式で読者からの投稿・質問に答えていた。かけあい形式の読者参加コーナーというコンセプトは、同社の兄貴分の雑誌でエレクトロニクス誌の『ラジオの製作』(略称ラ製)にも見られまた実質本誌の弟分(形式的なことを言うと最初はラ製の別冊)のプログラミング誌『マイコンBASICマガジン』(通称ベーマガ)にも受け継がれた。
引用元:月刊マイコン – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%88%E5%88%8A%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%82%B3%E3%83%B3