神田の今川橋 「今川焼き」の由来

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餡を用いた和菓子
「今川焼き」の名前の
由来となっているものは?
橋の名前(答)
戦国武将・今川義元
川の名前
最初に作った人物

今川焼き(いまがわやき)は、小麦粉を主体とした生地に餡を入れて金属製焼き型で焼成した和菓子である。全国各地で大判焼き(おおばんやき)と呼ばれるほか、その形状からの由来や販売店名を使用するなど、地域や店舗ごとに多数の別称が存在する(後述)[1][2][3][4]。
>「今川焼き」の名称の由来に確たる史料はないが、今日主流とされる説に以下が挙げられる。
江戸時代中期の安永年間、江戸市内の名主今川善右衛門が架橋した今川橋[† 1]の神田側に存在した神田西今川町や神田東今川町の店がこれらの焼き菓子を発売し[6]、後に「今川焼き」が一般名詞化して広がったとする説がある。
現在の静岡県中部にあたる駿河国などを治めた守護大名・戦国大名、今川氏の家紋である二つ引両(引両紋)を由来とする説もある。
この和菓子の名称は全国的には統一されておらず、地域や各店舗によってさまざまに呼称されている。(表は五十音順)
引用元:今川焼き – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8A%E5%B7%9D%E7%84%BC%E3%81%8D

今川焼き(いまがわやき)とは、東京は神田の今川橋付近発祥の、「あんこ」や「カスタード」などを小麦粉と卵の生地でくるんだ和菓子のこと。
>何で今川焼きって呼ぶの?
江戸時代は安永年間(1772年-1780年)、神田の今川橋埋立地にあった露店が売り出した焼き菓子が由来ではないか、とされているから。

今川橋は天和年間(1681年-1684年)に神田の名主であった今川善右衛門が竜閑川(神田堀)に掛けた橋で、今川橋埋立地は1869年(明治2年)に神田今川町、翌年に川を境にして神田西今川町・神田東今川町に分けられた。竜閑川は1950年(昭和25年)には全て埋立られてしまい、また西今川町は1935年(昭和10年)、東今川町は1965年(昭和40年)に消え、現在は鍛冶町一丁目、内神田三丁目(旧・鎌倉町)、岩本町一丁目のそれぞれ一部となってしまっているが、今川橋の名は交差点名として現在も残っている。

今川焼きとはこのように由緒ある、歴史深い名前なのだ。なお、焼き跡が守護大名・戦国大名の今川氏の家紋のような巴型に見えるからという説もあるが、江戸時代の文献にはそのような記述は見受けられない。
引用元:今川焼きとは (イマガワヤキとは) [単語記事] – ニコニコ大百科 http://dic.nicovideo.jp/a/%E4%BB%8A%E5%B7%9D%E7%84%BC%E3%81%8D

今川橋跡
[今川橋が神田堀(別名神田八丁堀・竜閑川)に仮設されたのは天和年間(1681~83)との記録があります。橋名の由来は、当時の名主今川氏の尽力により架けられたのでその名が残りました。この橋は日本橋から中山道に通ずる重要な橋でもありました。神田堀は現在の千代田区神田・中央区日本橋地域の境を流れ、その役割は非常に大きく当時の運輸手段の主流でもありました。昭和25年(1950)龍閑川は埋め立てられ、三百年近く慣れ親しんだ今川橋も撤去され、現在はその面影もありません。左図の絵図は江戸時代末期頃の界隈風景です。この橋辺には陶磁器をあきなう商家が立ち並び、大層賑わったといいます。  平成4年4月吉日 今川橋由来碑]
引用元:今川橋跡(主水井) | Google Earthで街並散歩(江戸編) http://yasuda.iobb.net/wp-googleearth_e/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%A9%8B%E5%8C%97%E3%83%BB%E5%86%85%E7%A5%9E%E7%94%B0%E3%83%BB%E4%B8%A1%E5%9B%BD%E3%83%BB%E6%B5%9C%E7%94%BA-2/%E4%BB%8A%E5%B7%9D%E6%A9%8B%E8%B7%A1

コメント

  1. 匿名 より:

    近くに今川橋歯科クリニックという評判の良い歯医者があります。

  2. 匿名 より:

    今川義元焼き(怖)