「斎田晴子」振り飛車クイーン・39歳で倉敷藤花「蛸島彰子」初代女流名人『将棋かくしふで』 「花の80年生まれ」矢内理絵子・千葉涼子・石橋幸緒

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「振り飛車クイーン」
佐伯昌優門下の女流将棋棋士
女流名人、女流王将を獲得
2006年に39歳で倉敷藤花を獲得
中井広恵 なかいひろえ
蛸島彰子 たこじまあきこ
斎田晴子(答) さいだはるこ
清水市代

女流棋士の問題を復習します。

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女流棋士
奨励会最初の女性会員
著書『将棋かくしふで』
初代女流名人
蛸島彰子(答) たこじまあきこ
中倉彰子
多田佳子
山下カズ子


女流棋士
タイトル獲得の通算最多記録
子供への指導でも有名
2000年にクイーン四冠を達成
清水市代(答)

連想
女流棋士
1993年の竜王戦で男性に勝利
LPSAの代表理事
清水市代との二強時代を築く
中井広恵(答)

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次のうち
「花の80年生まれ」と呼ばれる
将棋の女流棋士を全て選びなさい
石橋幸緒(答)いしばしさちお 1980.11.25
里見香奈 さとみかな
清水市代
矢内理絵子(答) やうちりえこ 1980.1.10
千葉涼子(答) ちばりょうこ 1980.4.21

斎田 晴子(さいだ はるこ、1966年12月4日 – )は、日本将棋連盟所属の女流棋士。神奈川県横須賀市出身。神奈川県立湘南高等学校卒業。佐伯昌優九段門下。女流棋士番号21のち9。元奨励会三段の斎田純一は弟。
>女流棋士になったきっかけは、清水市代、中井広恵、林葉直子といった同世代の女流棋士に刺激を受けてのことである。
主な戦法は振り飛車。かつては四間飛車を指すことが非常に多かったことから、「ミス四間飛車」と呼ばれていたが、2002年前後から中飛車(ゴキゲン中飛車、5筋位取り中飛車など)も積極的に採用するようになり、「振り飛車クイーン」とも呼ばれるようになった。
>2006年に倉敷藤花を獲得。39歳11ヶ月は当時の最年長女流タイトル獲得記録(2009年に清水が更新)。
引用元: 斎田晴子 – Wikipedia.

中井 広恵(なかい ひろえ、本名:植山広恵(旧姓中井)、1969年6月24日 – )は、元LPSA(日本女子プロ将棋協会)所属の女流棋士。2014年1月現在はフリー。LPSA初代代表理事(2007年5月 – 2010年5月)。過去の女流棋士番号は日本将棋連盟所属時は旧17[1]、LPSA所属時は7。タイトル獲得数は歴代2位。クィーン名人。北海道稚内市出身。佐瀬勇次名誉九段門下。
>1990年代から2000年代にかけて、女流棋界において長らく清水市代との二強時代を形成した。1993年の女流名人位戦から2007年の倉敷藤花戦までの全てのタイトル戦に、中井か清水のいずれかか両方が登場している。
>2006年12月、女流棋士新法人設立準備委員会の委員長に就任。女流棋士団体の日本将棋連盟からの独立のために各方面との調整や支援者集めなどに駆け回り、その結果、2007年5月に日本女子プロ将棋協会(LPSA)が結成され、初代代表理事に就任した。
引用元: 中井広恵 – Wikipedia.

蛸島 彰子(たこじま あきこ[1]、1946年3月19日 – )は、日本女子プロ将棋協会(LPSA)所属の女流棋士。東京都出身。日出女子学園高等学校卒業。高柳敏夫名誉九段門下。LPSA番号1。以前は日本将棋連盟に所属し、史上初の将棋の女流棋士。日本将棋連盟在籍当時の女流棋士番号は1。結婚により、現在の本名は武田 彰子[2](蛸島は旧姓)。
>その後、初の女流棋戦として女流名人位戦が創設され参加、初代女流名人となる。以後3連覇するも、第4期(1978年)で山下カズ子に破れ失冠。しかし同年創設された女流王将戦で初代女流王将となり、これも3連覇する。さらには第8期女流名人位戦で山下からタイトルを奪還。林葉直子・中井広恵・清水市代の「将棋三人娘」が登場するまで、山下とともに女流二強時代を築いた。
引用元: 蛸島彰子 – Wikipedia.

清水 市代(しみず いちよ、1969年1月9日 – )は、日本将棋連盟所属の女流棋士。高柳敏夫名誉九段門下。女流棋士番号は7。通算女流タイトル獲得43期は歴代1位であり、2位以下を大きく引き離している。
日本将棋連盟の棋士会副会長(2009年4月 – 2011年3月)。
>中学3年の終わり頃、高柳敏夫八段(当時)に入門。年齢的に遅めのスタートだったが、高校2年生に上がった1985年4月1日に女流棋士(女流2級)となる。これは女流育成会制度による初めてのプロ入りとなった。初期の女流育成会制度では、女流育成会の上位者と、女流棋士のなかの成績下位者との入れ替え戦が実施されていた。この入れ替え戦を勝ち抜いて女流棋士になったのは、清水市代だけである。
>1996年7月には、3年間遠ざかっていた女流王将に返り咲き、女流名人、女流王位、倉敷藤花と合わせた女流四冠独占を達成。これにより文部大臣表彰も受けた。同時期に羽生善治が七冠独占していたことから、俗に「女羽生(おんなはぶ)」と呼ばれた。
2000年、5度目の女流王将位を獲得して永世位にあたる「クィーン王将」となり、他の3タイトルのクィーン位と合わせて“クィーン四冠(全4タイトルを通算5期以上獲得)の大記録を打ち立てる。その功績により、同年10月1日、史上初の女流六段位が与えられた。
引用元: 清水市代 – Wikipedia.