明石「志賀之助」江戸時代の初代横綱 「日下開山」 二代「綾川五郎次」

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大相撲の初代横綱とされる
江戸時代に活躍した力士は
明石◯◯◯◯?
之次太賀助
門権衛志左
→志賀之助
「明石志賀之助」
あかししがのすけ

明石 志賀之助(あかし しがのすけ、生没年不詳)は、下野国宇都宮(現栃木県宇都宮市)出身の元大相撲力士。
江戸時代前期に実在した人物とされ、日本相撲協会が2013年現在で初代横綱に認定している。従来の力技だけでなく相撲の技に関しても多く研究し、現在でも基本とされている四十八手の技を考案した人物とも言われている。
>江戸以外も京・長崎を始め、諸国で相撲を取って抜群の強さを誇ったとされる。京に上ってからは仁王仁太夫を倒したことで朝廷から「日下開山」の称号を受けたとされ、これが初代横綱の根拠とされたらしい。
引用元: 明石志賀之助 – Wikipedia.

明石志賀之助【あかししがのすけ】

江戸前期の力士。初代横綱。宇都宮出身と伝えられるが,生没年不詳。身長251cm,体重184kgという超巨人。《近世奇跡考》によれば仁王仁太夫を倒して,朝廷から日下開山(ひのしたかいさん)の称号を受けた。
引用元: 明石志賀之助(あかししがのすけ)とは – コトバンク.

ひのしたかいさん【日下開山】

横綱力士の別称。室町時代から〈天下一〉という言葉が流行したが,この呼称が1682年(天和2)に禁令になったため,武芸者,芸能者らは,これに代わって〈日下開山〉を用いるようになった。日下は天下,開山は寺の開祖,宗教の権威者を意味したところから,無双の優れた者の代名詞となった。その後江戸中期のころまで強豪力士を日下開山と呼び,江戸後期には横綱免許を受けた大関力士をさすようになり,明治のころに横綱力士の別称として定着した。
引用元: 日下開山(ひのしたかいざん)とは – コトバンク.

綾川 五郎次(あやがわ(あやかわ) ごろうじ、1703年(元禄16年)? – 1765年3月14日(明和2年1月23日))は、下野国(現栃木県)出身の元大相撲力士。
>大関として出場した記録のない綾川が歴代横綱に加えられているのは1789年(寛政元年)谷風と小野川に横綱免許を与える際に吉田司家が寺社奉行に提出した書類に「過去に綾川、丸山と申す者に免許を与えたが記録は火災で失われた」と記載したことが根拠である。現在公認されている横綱としては明石志賀之助に次いで2代目とされているが、明石とともに「伝説上の横綱」と考えるのが一般的である。
引用元: 綾川五郎次 (初代) – Wikipedia.