水原茂「巨人で8回のリーグ優勝」 三原脩「1958西武で3連敗からの4連勝」 青田昇「じゃじゃ馬」大下弘「青バット」中西太「大下弘らと西武黄金時代・怪童」小鶴誠「和製ディマジオ」

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巨人、中日、東映で監督を務め
巨人で8回、東映で1回、
合計9回のリーグ優勝を
果たした名監督は?
中下太
三原脩
水西弘
水原茂(答)


1951年に西鉄ライオンズの監督に
就任し、1958年の日本シリーズで
巨人に3連敗から4連勝するなど
黄金時代を築いた監督は誰?
三原脩

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巨人や大洋で活躍し、本塁打王を
5度、打点王を2度獲得した往年
のプロ野球選手で「じゃじゃ馬」
の愛称で呼ばれたのは?
小下太
青西昇
大鶴誠
→青田昇

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1953年から4年連続で本塁打王を獲得するなど、大下弘らと共に西鉄ライオンズ黄金時代の中心を担った名選手は誰?
中西太

スロット
1950年に161打点という1シーズン最多打点記録を作ったプロ野球選手で、「和製ディマジオ」とという愛称で呼ばれたのは誰?
小鶴誠

水原 茂(みずはら しげる、1909年1月19日 – 1982年3月26日)は、香川県高松市出身のプロ野球選手(内野手)・監督・野球解説者・野球評論家。1955年から1959年の登録名は「水原 円裕(のぶしげ)」。
現役時代は東京巨人軍(1947年より読売ジャイアンツ、以下巨人)で活躍し、引退後は巨人、東映フライヤーズ、中日ドラゴンズの監督を歴任した。巨人監督時代の在任11年間で8度のリーグ優勝、4度の日本一に輝き、セントラル・パシフィック両リーグでチームを日本一に導いた(セ – 巨人、パ – 東映)。
引用元: 水原茂 – Wikipedia.

三原 脩(みはら おさむ、1911年11月21日 – 1984年2月6日)は、香川県仲多度郡神野村(現:同県同郡まんのう町)出身のプロ野球選手(内野手。右投右打)・監督・球団経営者。
>監督としては、選手の調子・ツキを見逃さない慧眼の持ち主で、周囲の予想を超える選手起用・戦術で数々の名勝負を演出し「三原魔術」と驚嘆を受け、「魔術師」「知将」の異名をとった。日本プロ野球史上、日本野球連盟、2リーグ分立後のセントラル・リーグ及びパシフィック・リーグ両リーグ加盟球団での日本選手権シリーズ(日本シリーズ)といった、3種類の優勝を経験した唯一の人物(セ・パ両リーグでの日本シリーズ優勝経験監督は、水原茂、広岡達朗がいる)。監督としての3,248試合出場は日本プロ野球記録である。
>特に1958年の日本シリーズは、西鉄が第1戦から3連敗しいきなり王手をかけられるが、第4戦以降は稲尾が連投し、ついに4連勝して逆転日本一を勝ち取った。日本シリーズ史上初、ワールドシリーズにも前例がない「3連敗からの4連勝」であり、この年の両者の戦いぶりは日本プロ野球の歴史に残る名勝負と称えられる。
>「まだ首の皮一枚でつながっている」
日本シリーズで三連敗し、もう後が無くなったと記者に質問されたときに、こう切り返した。のちに、アントニオ猪木らが追い込まれたときにこのフレーズを頻繁に使用した。
引用元: 三原脩 – Wikipedia.