2011ドラ1【上武大、東芝】

東芝からオリックス入団
背番号は「3」
2014年に29盗塁
ポジションはショート
若月健矢
T-岡田
安達了一(答)
大城滉二
74%

安達 了一(あだち りょういち、1988年1月7日 – )は、オリックス・バファローズに所属する群馬県高崎市出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。

大学卒業後の2010年に東芝へ入社すると、1年目からレギュラーに定着。第81回都市対抗野球大会では、1番・遊撃手として打率.391を記録し、同チームの優勝に貢献。新人王にあたる若獅子賞を受賞した。2年目の2011年は第39回IBAFワールドカップメンバーに選ばれるが第1ラウンド敗退[2]。連覇のかかった第82回都市対抗野球大会では、10月27日に日本生命との2回戦で逆転負け。自身も海田智行の前に3打数無安打と抑え込まれた[2]。しかし、試合終了から数時間後に開かれたNPBドラフト会議で、試合会場の京セラドーム大阪を本拠地に用いるオリックス・バファローズから1巡目で指名。高橋周平への指名重複による抽選で独占交渉権を逃した末の再指名だったが、本人はドームから宿舎に戻るバスの中で、チームメイトから指名を知らされたという[2][4]。背番号は、東芝時代と同じ3[2]。

2014年、一軍公式戦143試合に出場するとともに、チームのパシフィック・リーグ(パ・リーグ)優勝争いに大きく貢献。リーグ5位の29盗塁を記録した。

2019年、一軍公式戦の開幕から「9番・遊撃手」としてスタメンに起用されたが、開幕5試合を終えた時点で8打数無安打3失策と不振を極めたため、4月4日に出場選手登録を抹消[17]。さらに、「野球生活では初めて」という左太腿裏の肉離れを抹消中に発症したため、1ヶ月もの戦線離脱を余儀なくされた[18]。セ・パ交流戦終盤の6月14日から一軍に復帰。抹消中には大城滉二が正遊撃手へ定着していたが、「一軍の正三塁手が定まっていない」というチーム事情を踏まえて、復帰後は主に三塁を守っていた[19]。6月23日の対広島戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)10回表の打席では、小田裕也に続いて三塁打をマーク。後続打者の後藤駿太と福田周平も三塁打を放ったことから、公式戦では日本プロ野球史上2回目(1950年以降の2リーグ制では初めて)の1イニングチーム4三塁打を達成した[20]。8月には月間打率.292を記録したほか、6日の対日本ハム戦(札幌ドーム)で一軍公式戦434日振りの本塁打を放つ[21]など好調だった。同月の中旬から体調を崩した[22]影響で、9月にも一時戦線を離脱した[23]ため、一軍公式戦への出場は56試合にとどまった。この年で3年契約の1年目を終えたが、シーズン終了後に現状維持(推定年俸9,000万円)という条件で契約を更改[24]。

選手としての特徴[編集]
守備[編集]
オリックス入団後のインタビューで「周囲の人からは『(遊撃以外のポジションを守るなど)幅を広げた方が良い』と言われるが、自分は『野球を長く続けたい』というより、『ショート(遊撃)を守りたい』という思いが強い」「『ショートを守れなくなったらもう引退しようかな』と思っている」と語るほど、「遊撃手」というポジションへのこだわりが強く[25]、堅実かつ大胆なプレーと守備力の高さに定評がある[26]。 UZRは2015年に遊撃手として29.0を記録[27]。潰瘍性大腸炎を発症した2016年以降のシーズンも、14.8→11.6→9.4と高い水準で推移している[28]。ただし、2019年の公式戦では、大城滉二が正遊撃手を務めている関係で、三塁の守備に就く機会も多い。

打撃[編集]
右打席から左方向へと長打を放つなどの意外性が魅力だが、潰瘍性大腸炎を発症した2016年シーズンを境に、長打率が.323→.278→.277と低下。また、以前はIsoDの値が比較的高かったが、2016年頃からは早打ちの傾向が見られる。
引用元:安達了一 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E9%81%94%E4%BA%86%E4%B8%80

大城 滉二(おおしろ こうじ、1993年6月14日 – )は、沖縄県島尻郡豊見城村(現在の豊見城市)出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。オリックス・バファローズ所属。妻はモデルのSHERY[2]。

2019年、開幕一軍に入ったが、北海道日本ハムファイターズとの開幕カード(札幌ドーム)では、福田周平が二塁、新人の頓宮裕真が三塁、安達が遊撃のスタメンに起用され、前年に続いてのベンチスタートとなった。しかし、安達が極度の不振で開幕2カード目から二軍へ降格すると、遊撃手としてスタメンに定着。5月に月間打率.315を記録するなど、前半戦は打撃が好調で、ステフェン・ロメロの戦線離脱中には3番打者も任された。セ・パ交流戦の終盤に一軍へ復帰した安達を三塁へ追いやるほど好調だったが、8月中旬以降は腰痛で一軍から遠ざかり、シーズン終了後の11月22日には左臀部の表皮膿瘍切除手術を受けた[11]。一軍公式戦全体では、91試合の出場で3本塁打、10盗塁、自己最高の打率.262をマーク。12月11日には、アリゾナ・ダイヤモンドバックスから入団したアダム・ジョーンズがMLB時代に続いて背番号10を着用すること[12]に伴って、自身の背番号を9へ変更することが球団から発表された[13]。

選手としての特徴・人物[編集]
50メートル走で6秒フラットを計測したほどの俊足、広い守備範囲、上段から振り下ろす打撃フォームが持ち味。「坂本勇人に匹敵するほど、遊撃手としての総合力が高い」と評価されている[14]。

野球人生の中で「一番悔しかった」出来事として、前述した新人時代の春季キャンプでの二軍降格を挙げている[9]。

オリックスとの間で仮契約を結んだ際には、2016年6月28・29日に地元の沖縄セルラースタジアムで予定されている東北楽天ゴールデンイーグルスの一軍公式戦[15]へ出場することや、背番号10の先輩選手・谷の通算安打数と同じ1928安打を放つことを目標に挙げていた[16]。

2020年6月13日、同年2月にモデルのSHERYと結婚していたことが明かされた[17]。
引用元:大城滉二 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%9F%8E%E6%BB%89%E4%BA%8C