一目之羅(あみ)【小嶺忠敏監督】

高校サッカーの名門・国見高校が
あるのは長崎県◯◯市?
◯の漢字をひらがなで答えなさい
うんぜん(答)
46%

長崎県立国見高等学校(ながさきけんりつ くにみこうとうがっこう, Nagasaki Prefectural Kunimi High School)は、長崎県雲仙市国見町多比良甲にある公立高等学校。

活動成績[編集]
サッカー部[編集]
かつて元総監督(同校教諭、教頭、校長を歴任)の小嶺忠敏が率いたサッカー部は、全国高等学校サッカー選手権大会の常連校で卒業生の項にあるとおり、多くのサッカー選手を輩出した。全国優勝は計14回におよび、初出場で準優勝を、2度目の出場で初優勝を果たしている。なお、初出場時と2度目の出場時の各決勝戦での対戦校はいずれも東海大学第一高等学校(現:東海大学付属静岡翔洋高等学校)だったため、初出場初優勝の快挙を果たせなかった雪辱を翌年に果たした形となった。
2007年(平成19年)まで、全国高等学校サッカー選手権大会に21年連続で出場。2018年に青森山田が22年連続出場するまでは、最多連続出場記録だった。
選手権の優勝回数6回(1987年度、1990年度、1992年度、2000年度、2001年度、2003年度)は戦後最多タイの優勝回数。
インターハイの優勝回数5回(1986(昭和61)、1993(平成5)、2000(平成12)、2003(平成15)、2004(平成16)年度)。
高円宮杯全日本ユース(U-18)サッカー選手権大会の優勝回数2回。
国体の優勝回数1回。
2000(平成12)年度にインターハイ、国体(国見高単独チームで長崎県選抜として出場)、選手権の三冠を達成。
第85回選手権大会(2006(平成18)年度)で同校の選手権史上初の初戦敗退を喫した。
引用元:長崎県立国見高等学校 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E5%B4%8E%E7%9C%8C%E7%AB%8B%E5%9B%BD%E8%A6%8B%E9%AB%98%E7%AD%89%E5%AD%A6%E6%A0%A1

小嶺 忠敏(こみね ただとし、1945年6月24日 – )は、日本の元サッカー選手、サッカー指導者(JFA 公認S級コーチ)。一般社団法人長崎県サッカー協会会長、長崎総合科学大学特任教授。

1968年より長崎県立島原商業高校へ赴任し、商業科教諭およびサッカー部監督に就任。部員13人からサッカーの指導をスタートさせ、当時の九州サッカーは全国大会で1回戦さえ突破するのが難しい時代であったが[5][6]、1977年インターハイで長崎県勢として初優勝した[5]。

1984年、長崎県立国見高校に社会科教諭として赴任し、サッカー部を全国高校サッカー選手権で戦後最多タイの6度の優勝に導く[5]。1996年には、JFA 公認S級コーチ(S級ライセンス)も取得。90年代以後もサッカー部員は丸坊主にする事を義務付けていた事で有名であった。

長崎県の公立高校教員には、離島の学校に一度は赴任しなくてはならない規定があるが、教育委員会が小嶺の県外流出を恐れ、特例として離島に赴任させず、その後も教頭(1997-1999年度)・校長(2000-2005年度)を歴任した。なお、校長就任に伴って全国高等学校体育連盟の規定により監督を退いたが、監督はサッカー経験・指導歴のない教諭が就任したため、「総監督」として実質的な指揮をとった。2006年3月に国見高を定年退職(総監督職は、2007年1月9日まで継続)。

定年退職後は一般社団法人長崎県サッカー協会の会長(2004年6月10日就任)、長崎県教育委員会参与、特定非営利活動法人「V・ファーレン長崎スポーツコミュニティ」理事長(2006年5月27日付で副理事長から昇格)なども務めている(後の参院選立候補に伴い、一部役職は辞任した)。
引用元:小嶺忠敏 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%B6%BA%E5%BF%A0%E6%95%8F

僕が先生になってすぐの頃、大渕校長という哲学者のような人がいました。週に1度、800人ほどいる生徒の前で全校集会をするのですが、話が長いから寝ている生徒ばかり。若かった私は酒の勢いを借りて「校長先生の話は生徒に分からないと思います」と面と向かって発言したんです。すると、「俺は教員に話をしているんだ」と言われ、中国の一目の羅という言葉を教えて貰いました。

鳥を捕まえようと網を張っても、一つの網の目にしか鳥は捕まらない。魚を捕まえる際も同じです。だからと言って、編み目が一つの網を用意しても鳥は捕まえられません。指導者もたくさんの知識を持っていても、生徒にはそれぞれの個性があるから、合うのは一つしかない。どれがその子に合うか分からないから、たくさん勉強をして、編み目を増やさないとダメなんだと。

サッカーの指導者もサッカーを知るだけではなく、授業をするための知識、社会経験などたくさんの知識を得るべきだと教わりました。一目の羅という言葉は今でも大事にしている言葉です。

講演会などで「選手を育てるために何が大事ですか?」と聞かれることが多いのですが、「そんな物はない」といつも答えています。なぜなら毎年、子どもが入れ替わるからで、その時仕入れた知識だけでは対応できないからです。

それまでにずっと勉強を続け、何千、何万もの知識の中から、その子に合うであろう知識を当て嵌める。古い知識だけではなく、新しい時代に合った知識も必要になるでしょう。過去の知識なら私が上ですが、それだけに留まらず今の情報も仕入れなければいけない。生涯勉強という言葉がありますが、まさにその通りだと思います。
引用元:大久保嘉人らを育てた元国見高校・小嶺忠敏監督が教える「選手を育てるために何が大事?」への回答 | サカイク https://www.sakaiku.jp/series/kingen/2019/014335.html

一目之羅,不可以得為鳥
引用元:淮南子 : 說林訓 : 15 : 相似段落 – 中國哲學書電子化計劃 https://ctext.org/text.pl?node=3380&if=gb&show=parallel

《淮南子·說山訓》中有個小故事:「有鳥將來,張羅而待之,得鳥者,羅之一目也。今為一目之羅,則無時得鳥矣。」意思是,有隻鳥即將飛過來,把網張開去捕捉,捕到鳥的只是一個網眼。現在用一個網眼去捕鳥,那就永遠也捕不到。
引用元:「理響合肥」讀懂「羅之一目」與「一目之羅」的故事 – 每日頭條 https://kknews.cc/other/o9xr82q.html