伊原春樹コーチ【送球の弱点を事前把握】

1987年の日本シリーズ第6戦8回
裏に、クロマティの緩慢な守備を
つき、センター前安打で1塁から
ホームインした西武の選手は?
平野謙

清原和博
辻発彦(答)
秋山幸二
49%

西武ライオンズの黄金時代を
築いた選手・辻発彦が現役を
引退した時に所属していた
セ・リーグの球団は?
広島

ヤクルト(答)
中日
巨人
62%

引用元:【西武、ヤクルト】 | 【QMA復習】 https://seethefun.net/%e3%82%b9%e3%83%9d%e3%83%bc%e3%83%84/52488/

1987年の日本シリーズ。西武ライオンズは3勝2敗と王手をかけて11月1日の本拠地・西武球場での第6戦に挑んでいた。
この年から、西武ライオンズの守備走塁コーチに就任し、三塁ベースコーチに伊原春樹は、スコアラーによる事前情報収集、ビデオによる研究からセンターのクロマティの守備、特に送球に難があることを見抜き、隙があれば一つでも先の塁を奪うことを狙っていた。

ここで二死ランナーなしで打席には辻。辻はこの年、リリーフエースとして獅子奮迅の活躍を見せた鹿取義隆を相手に、フルカウントから三遊間を破るヒットを放つ。
次打者は3番・秋山幸二。秋山は1ストライクから鹿取の真ん中のボールを叩くと、センター前へクリーンヒット。二死ということもあり、辻はバットとボールが当たった瞬間に好スタートを切り、センターのクロマティがボールを掴むときにはすでに三塁に到達しようとしていた。
ここで三塁での封殺は無理と判断したクロマティは、一瞬どこにボールを返すか判断が鈍る。結果、遊撃手の川相に返球するのだが、川相は打者走者の秋山が二塁に進むのを阻止しようと二塁に意識を向ける。伊原はその瞬間を見逃さなかった。そして辻は伊原の指示に全面的に従った。ミーティングでの意識付けが大きかったのだろう。まるで打った瞬間にホームまで返ってやろうという気持ちすら感じられるすさまじい走塁だった。
川相からの送球を受けた捕手の山倉がタッチすらできないほど、辻は余裕のホームイン。スコアは3対1となり、残りは9回の表のジャイアンツの攻撃を残すのみ。
土壇場でこの圧倒的なプレーを見せつけられては、この瞬間に敗北を確信したジャイアンツファンも少なくなかっただろう。
このプレーで辻は一気に全国区のプレイヤーとなった。そして同時にサードベースコーチャーの重要性も高まったのだ。
引用元:玄人好みの職人・辻発彦はいかにして「日本球界最高の二塁手」と称されるようになったか? – Middle Edge(ミドルエッジ) https://middle-edge.jp/articles/e7vo8

 日本シリーズでも、過去にさまざまな名シーンが生まれているが、“走塁”に関して言えば1987年、西武対巨人の日本シリーズが思い浮かぶだろう。

 西武が3勝2敗と王手をかけて迎えた第6戦(西武球場)、二死から一走の辻発彦が秋山幸二のセンター前ヒットでクロマティの緩慢な返球のスキを突いて一気に本塁を突いた走塁だ。三塁コーチャーの伊原春樹と辻がまさに“人馬一体”となって、一塁から2つ先だけでなく、3つ先の塁を陥れ、貴重な追加点を奪って、西武は巨人を倒して連覇を成し遂げることができた。

 まさに“伝説の走塁”として語り継がれているプレーだが、伊原氏の中には大舞台でそれ以外にも会心だった走塁はいくつもあるという。
引用元:「伝説の走塁」だけではない。伊原春樹が日本シリーズで演出した会心の走塁 – 野球:週刊ベースボールONLINE http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20171031-13