富士山頂沸点「87度」登山距離順「御殿場」「須走」「吉田」「富士宮」 下山「御殿場」「吉田」「須走」「富士宮」

027MnTBZnB
富士山の山頂における
水の沸点はおよそ何度?
92度
87度(答)
97度
77度
64%

108NziDeXjviR
次の富士山の登山ルートを
登りの距離が長い順に選びなさい
御殿場ルート 登り11km下り8.5km
須走ルート 登り7.8km下り6.2km
吉田ルート 登り7.5km下り7.6km
富士宮ルート 登り5km下り5km

231kBKJRmwhBu
次の富士山の登山ルートを
下りの距離が長い順に選びなさい
御殿場ルート 登り11km下り8.5km
吉田ルート 登り7.5km下り7.6km
須走ルート 登り7.8km下り6.2km
富士宮ルート 登り5km下り5km

どちらも最初は「御殿場」最後は「富士山」ルートが固定。途中が違います。
登山ルートゴロ「御殿場から走るのはよして富士山へ」

ixZTRQQ
引用元:No.17 世界遺産特集 – NHK クローズアップ現代+ http://www.nhk.or.jp/gendai/special/17_sekaiisan.html

image016_4routes_coloring_mag
富士山の山頂へ至る登山ルートは4つあります。
それぞれ登山の起点となる登山口が異なります。
吉田ルートの登山口は、富士スバルライン五合目
須走ルートの登山口は、須走口五合目
御殿場ルートの登山口は、御殿場口新五合目
富士宮ルートの登山口は、富士宮口五合目
引用元: 登山口と登山ルート|登山基本情報|富士登山オフィシャルサイト.

CIMG2205RLkDnLpzVBpl
登山における予定外の野宿
「ビバーク」をアルファベットで
書くと「◯◯◯◯◯◯◯」?
◯を答えなさい
BIVOUAC

CIMG8917fyBheNmPstCT
1970年に植村直己とともに
日本人として初めて
エベレスト登頂に成功した
登山家は?
加浦保松村
藤夫晴輝川
→松浦輝夫

 人の住む地面付近の大気圧は1000hPa程度です。気圧は空気の積み重なりによる重さや、押し付ける力です。このため、上空に行くほど空気が薄くなり、気圧が下がります。山に100m登ると約10hPa気圧が下がります(10m上ると1hPa下がる。と覚えると覚えやすい)。
 富士山頂3776mでは、気圧は 630hPa位になります。登山も3000m(700hPa) を超えると、空気が薄くなり、山の気圧に慣れるまで、思考力や運動能力が低下します(登山事故が発生しやすくなります)。
>次に、高山では、気圧が低くなるため、水の沸点(沸騰温度)も変わります。水(純水)は、地上付近の1気圧(1013.25hPa )では、100℃で沸騰します。上空1500mでは、95℃。富士山頂では87℃くらいに沸点が下がります。このため、圧力釜がないと、ご飯が半煮え状態や、煮込み時間が長くかかります。
VGAVqzA
引用元:www.ebayama.jp/merumaga/20050901.html http://www.ebayama.jp/merumaga/20050901.html

登山ルート
現在使用されている主な登山道には、静岡県側の「富士宮ルート」・「須走ルート」・「御殿場ルート」、山梨県側の「吉田ルート」の4ルートがあるが、観光が主産業であり富士山観光開発を積極的に行っている吉田ルートの登山者が最も多い。
>ルート名 県 登り 下り 五合目(新五合目)の標高[6] 山小屋・売店の数[6] 標準所要時間[6] 車でのアクセス
>富士宮ルート 静岡県 5.0 km 5.0 km 2,380m 9(五合目1・頂上1含む)[7][8] 登り5時間10分・下り3時間30分 県道152号・県道180号
>吉田ルート 山梨県 7.5 km 7.6 km 2,305m 23(五合目5・頂上4含む)[9] 登り5時間55分・下り3時間10分 富士スバルライン
>須走ルート 静岡県 7.8 km 6.2 km 1,970m 14(五合目2・頂上4含む)[10][11] 登り6時間55分・下り3時間 県道150号
>御殿場ルート 静岡県 11.0 km 8.5 km 1,440m 5(新五合目2含む)[12][13] 登り8時間20分・下り3時間30分
県道152号
引用元: 富士登山 – Wikipedia.

富士スバルライン五合目を拠点にした「吉田ルート」には、毎年多くの観光客と登山者が訪れます。山小屋の数がもっとも多く、途中2ヶ所に救護所があり、登山未経験の人や初めて富士山に挑戦する人におすすめのルートです。登山者が多いので道迷いの心配は少ないのですが、その分混雑は避けられません。山頂でご来光を見るための登山者が列をなし、夜明け前の時間帯に渋滞が始まります。登りと下りでそれぞれ専用道を利用します。
引用元: 吉田ルート | 富士山エリアの総合ガイド – フジヤマNAVI.

標高1440mからスタートする「御殿場ルート」は、ほかのルートと比べて距離も標高差も群を抜く難関コースです。そのため登山経験者や富士登山リピーターにおすすめです。ロングコースなので、途中の山小屋に1泊するプランを立てて登りましょう。ただし山小屋は七合目より上にしかありません。水や食糧を予め準備して早めに登山口を出発するという、一般的な登山スタイルが望ましいです。
引用元: 御殿場ルート | 富士山エリアの総合ガイド – フジヤマNAVI.

富士山の真東にあるルートが「須走ルート」です。吉田ルートより低い標高からのスタートになります。須走ルートの特徴は標高2700m付近までの豊かな自然と下山道の砂走り。山小屋が少なめなので、どちらかと言うと登山経験者に向いています。本八合目で吉田ルートと合流しますので、ここからの渋滞は覚悟しておいたほうがいいでしょう。下りは七合目から砂の斜面を豪快に一直線に下る「砂走り」を存分に楽しめます。
引用元: 須走ルート | 富士山エリアの総合ガイド – フジヤマNAVI.

4つのルートのなかで一番距離が短く、標高差の少ない最短ルートで、吉田ルートの次に人気があるコースです。しかも登りと下りが同じ登山道を歩くため、ピーク時には大変混雑します。山小屋が充実しているので初心者にも安心ですが、全般的に傾斜がきつく高山病に注意が必要です。富士山の南側に位置するルートなので、眼下には駿河湾の景色が広がりロケーションは素晴らしいです。
引用元: 富士宮ルート | 富士山エリアの総合ガイド – フジヤマNAVI.

ビバーク(独:biwak、仏:bivouac、英:Bivouac shelter)とは、登山やキャンプなどにおいて緊急的に野営することを指す用語。不時泊とも言う。
>テントを張る場所がない場合や急激な天候の悪化などで設営が困難な場合に、岩陰や樹の下、雪を掘って作る雪洞にて、所持品軽量化のためにツェルトなどの簡単な用具を張って緊急避難的に野営することを指す。これを「フォースト・ビバーク」と言い、一般的に単にビバークと言ったときはこのフォースト・ビバークを指すが、雷鳴を頼りに落雷をくぼ地でやり過ごす、あらかじめ気象情報などで知った台風などの風雨から身を守るために樹林でやり過ごすといった、先を見越した計画的な「フォーキャスト・ビバーク」もある。
引用元: ビバーク – Wikipedia.

植村 直己(うえむら なおみ、1941年(昭和16年)2月12日 – 1984年(昭和59年)2月13日?)は、日本の登山家、冒険家。兵庫県出身。1984年に国民栄誉賞を受賞。
>日本山岳会が創立65周年事業としてエベレスト登頂隊派遣を決定し、山岳部の先輩である大塚博美に誘われ植村も参加した。自己負担金を用意できなかったため荷揚げ、ルート工作要員としての参加であったが、抜群の体力等が認められ松浦輝夫とともに第1次アタック隊に選ばれ、1970年5月11日、エベレスト南東稜から登頂に成功する。しかしこの経験で、大量の隊員を荷物運びとして使いながらほんの一握りの者しか登頂できない極地法による高所登山に疑問を持った。
同年8月26日、エベレスト登頂の勢いを借りて再びマッキンリーに挑戦し単独登頂[2]を成功させ、この時点で世界初の五大陸最高峰登頂者となった。 同年、アメリカエクスプローラーズクラブからアカデミー・オブ・アチーブメントを授与される。
引用元: 植村直己 – Wikipedia.

松浦 輝夫(まつうら てるお、1934年 – )は、日本の登山家。1970年に、植村直己とともに、日本人として初めてエベレストの登頂に成功したことで知られる[1]。
>1970年、日本山岳会エベレスト登山隊に参加し、東南稜ルートのリーダーを務め、5月11日に植村直己とともに、日本人初のエベレスト登頂に成功した[1]。これに対して秩父宮記念賞を受けた[1]。植村は、エベレストの頂上に達する直前で、先輩である松浦に道を譲り、松浦を先に頂上に立たせたとされる[4][5]。当時の新聞報道は、「タフで子ぼんのう」な「まじめ男」と松浦を評した[6]。
引用元: 松浦輝夫 – Wikipedia.

会報『山』の編集者からイギリス隊の初登頂から50年になるので何か書かないかといわれ、改めて何冊かの本を引っ張り出した。ヒラリーの『わがエヴェレスト』や私の参加したJACの『1970年エベレスト登山隊報告書』、植村直己の『エベレストを越えて』などである。(注)
> 南峰を越えて植村と私は快調に進んだ。酸素補給器の具合もよく、天候の心配もない。アタック日和である。下では大塚博美登攀隊長をはじめ私たち2人を押し上げた多くの隊員が、力強いサポートで支えてくれている。最終キャンプを出てから3時間、9時過ぎに頂上に立った。植村と私は互いにしっかりと抱き合い、息の詰まるほど背中をたたきあった。それは17年前、テンジンとヒラリーが交わしたのと同じ喜びの表現だった。本当にうれしい時、だれもが同じようなことをするものだ。
引用元: 社団法人日本山岳会 -会報「山」より-.