【永田裕志】ブルージャスティス

2008年に新日本プロレスで
永田裕志と平澤光秀が
結成したユニットは?
烈起部
決春軍
青義隊
青義軍(答)
29%

青義軍(せいぎぐん)は、新日本プロレスのユニットである。

概要
2009年9月、永田裕志がヒール軍団に反し「青き正義(BlueJustice)」の名を元に結成、井上亘と平澤光秀も自分達に活を入れるべく結束、参謀としてスーパー・ストロング・マシンも加わった。 ベビーフェイスのユニットの為、新日本本隊とは分け隔てなく共闘している。

2010年にキング・ファレも井上らと同様の心境で加入。また、同年8月以降、CHAOSの飯塚高史に幾度となく襲撃を受けたアナウンサーの野上慎平が「野上”ジャスティス”慎平」という名前で研修生として加入。同じく飯塚と因縁がある天山広吉が2011年2月から同年12月にかけてサポートメンバーとして共闘していた。 永田と親交がある、K-1ファイターの佐藤嘉洋も、触発されK-1 MAX 青義軍を同時期に結成しており、2011年3月19日には、プロレス(青義軍)のセコンドに初めて付いた。

2011年6月18日にプエルトリコ遠征から帰国した「平澤光秀」改め「ヒデオ・サイトー」が試合に勝利した直後の永田を襲撃し、青義軍の対抗勢力となっているCHAOSに転身。同年9月にかけて永田とヒデオの因縁闘争へと発展した。その後、ヒデオは12月にCHAOSを追放され「キャプテン・ニュージャパン」として本隊選手となったため、抗争は終局。 一方、井上は同年8月のG1 CLIMAXをきっかけに鈴木みのるとの抗争を展開する。
引用元:青義軍 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%92%E7%BE%A9%E8%BB%8D

永田 裕志(ながた ゆうじ、1968年4月24日 – )は、日本のプロレスラー。新日本プロレス所属。千葉県立成東高校、日本体育大学卒業。血液型AB型。

青義軍の結成
2009年2月15日、昨年脳内出血による体調不良で緊急欠場し実現できなかった後藤洋央紀と両国国技館で1年越しの対決を行い、最後はバックドロップ・ホールドで後藤を沈めた。4月5日には飯塚高史とチェーンデスマッチで対戦するがレフェリーストップで敗北。5月3日、飯塚とドッグカラー・チェーンデスマッチで再戦し飯塚にK.O.勝ちを収めた。

8月に行なわれたG1 CLIMAXでは毎試合、ご当地の球団のユニフォームで入場した。また、最終日にはイチローが着ていたワールド・ベースボール・クラシックのユニフォームを着て登場した。後に永田のブログでは「本物」だったと書き記されていた[2]。

同年9月、平澤光秀、井上亘、スーパー・ストロング・マシンとともに青義軍を結成。12月5日には中邑真輔の持つIWGPヘビー級王座に挑戦するもボマイェで敗北を喫した。
引用元:永田裕志 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B8%E7%94%B0%E8%A3%95%E5%BF%97

平澤 光秀(ひらさわ みつひで、1982年3月27日 – )は、日本の男性プロレスラー。北海道札幌市出身。

デビュー以降複数のギミックを演じており、名乗ったリングネームは若手時代の本名に始まり、狂人風ギミックのヒデオ・サイトー、ヒーロー風ギミックのキャプテン・ニュージャパン、英雄から悪堕ちしたBONE SOLDIER(ボーンソルジャー)のギミックで活動した。

2017年1月を最後にプロレスラーとしての活動が確認されなくなり、現在は事実上の休業状態である。

コスチュームは赤が基本だが黄色や水色を着る場合もある。キャプテン自身は「皮膚」と表現しているという。また永田と組むときは青を必ず着用する。
引用元:平澤光秀 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E6%BE%A4%E5%85%89%E7%A7%80