【永瀬貴規】81kg級、小学高藤

リオ五輪に出場した柔道選手
小学時代から高藤直寿と対戦
筑波大時代に東海大8連覇を阻止
世界柔道81キロ級で日本人初優勝
ベイカー茉秋
永瀬貴則(答)
大野将平
羽賀龍之介
43%

永瀬貴規選手の選択肢が誤字のようです。
(コナミお客様相談室メール報告済)

永瀬 貴規(ながせ たかのり、1993年10月14日 – )は、長崎県長崎市出身の日本の柔道選手。階級は81kg級。身長181cm。組み手は右組み。段位は弐段。得意技は内股、足技[1][2]。現在は旭化成に所属[3]。

柔道は6歳の時に世界選手権の中量級で2位になった永瀬の大叔父にあたる平尾勝司が師範を務める養心会で兄とともに始めた[4][5]。小学校高学年になると修喩館にも通うようになった[1][2]。長崎大学教育学部附属小学校5年の時には全国小学生学年別柔道大会の40kg級に出場するが、栃木県代表の高藤直寿に敗れて5位だった。

4年の時には4月の体重別決勝で長島を指導3で破って2連覇を果たして、世界選手権代表に選ばれた[16]。5月のワールドマスターズでは決勝でロシアのイワン・ニフォントフを崩上四方固で破り初優勝を飾った[17]。6月の全日本学生柔道優勝大会では大会8連覇を狙った東海大学と決勝で対戦すると、代表戦において100kg級のウルフ・アロンを指導2で破り、筑波大学を国公立大学として初めてとなる優勝へ導いた[18][19]。8月の世界選手権では準決勝でチリキシビリを有効で破ると、決勝ではピエトリを崩上四方固で一本勝ちして優勝を飾った。日本選手がこの階級で優勝するのは初めてのこととなった(前身の階級である78kg級を含めると、1995年の世界選手権で古賀稔彦が優勝して以来20年ぶりになる。)[4][20][21]。世界団体では決勝で勝利するなどしてチームの優勝に貢献した[22]。
引用元:永瀬貴規 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B8%E7%80%AC%E8%B2%B4%E8%A6%8F

リオデジャネイロ五輪(柔道)の初戦から準々決勝を振り返って

リオデジャネイロ五輪(柔道)初戦では、ラースロー・チョクニャイ選手(ハンガリー)と対戦しました。初戦ならではの緊張感で体が固くなり、思い通りの動きはできなかったのですが、なんとか勝利することができました。3回戦のポール・キビカイ選手(ガボン)との対戦では、危なげなく勝利することができました。

しかし準々決勝ではセルジュ・トマ選手(アラブ首長国連邦)と対戦し、有効を奪われて敗れました。 開始直後から、相手のペースで試合が進んでいましたね。自分の思っていた柔道をさせてもらえず、そのまま負けてしまいました。

悔しさの残る「銅メダル」

敗者復活戦からは気持ちが吹っ切れて、自分らしい柔道ができたと思います。3位決定戦ではアブタンディル・チリキシビリ選手(ジョージア)に勝利し、銅メダルを獲得しました。

「初めから自分らしさを出せていれば結果は違ったかもしれません。銅メダルを獲って嬉しいという気持ちはなく、表彰台で他国の選手が金メダルを受け取る姿を間近で見て、ただただ悔しかったです。

試合終了後、井上康生監督からは「勝たせてあげられなくて申し訳ない」という言葉を頂きました。でも井上康生監督やチームの皆さんはすごく良い体制を作ってサポートして下さいましたし、負けたのは私の実力不足のせいだと思っています。勝てなくて申し訳なかったですし、自分の力のなさがとても歯がゆかったですね。
引用元:永瀬貴規  インタビュー【柔道チャンネル】 http://www.judo-ch.jp/interview/nagase/02.shtml

髙藤 直寿(たかとう なおひさ、1993年5月30日 – )は、栃木県下野市出身の、日本の柔道家である。血液型はAB型。組み手は左組み。得意技は小内刈、巴投げ、肩車[4]。

しかしながら、2010年からのIJFによるルール改正でそれらの足を掴む技が使いにくくなったことで自分の柔道スタイルを再度作り変えて、現在は内股、払腰、小内刈、背負投、袖釣込腰、欧米では「ラーツドロップ」とも呼ばれていた、相手の足を掴まずに投げる変則の肩車、寝技などを使いこなせるようになった[77][78][79]。なお、2013年のグランドスラム・東京の決勝で決めた片襟を掴んで担ぎ上げる独特の肩車を、自らの名前を付けて「直車」と命名した。この技は他の選手では使いこなせないとっておきの決め技だと自認している[80]。

さらに、2013年からの新ルールでは足取りが全面的に禁止されたことを受けて、「高藤スペシャル」と呼ばれる、相手が奥襟を掴んできたところを密着して、相手の体を抱えながら回転させて投げる技(決まり技は大腰や移腰、抱分になる場合が多い)を多用するようになった。 この技は、相手が奥襟を掴んで組み勝っていると油断させたところを、それを逆に利用して投げる技でもある。もともとは、苦手としていた左組みの長身選手である山本浩史に奥襟を取られやすかったことから、その対策として編み出された。
引用元:高藤直寿 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E8%97%A4%E7%9B%B4%E5%AF%BF